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御高の校舎は横に長い。全長百八十五メートルもある。赴任してきた教師の多くは、「コの字型をした校舎はよく見るが、職員室や教室、準備室などが全部一列に並んでいる学校は珍しい」と驚く。一つの階の教室数は二十、階段とトイレが三カ所に付いている。
大正初期の御殿場実業学校は木造の校舎で農場や桑園、果樹園を持ち、農具室、養蚕室、畜舎などを備えていた。女学部には裁縫室や家事室、作法室。男学部とは別に、女子用の養蚕室もあった。関東大震災による一部教室の倒壊(大正十二年)、老朽化に伴う校舎改築(昭和十二年)、生徒数急増に対応した増改築(昭和三十六年)などを経て、昭和四十四年、現在の“長い”校舎が落成した。 テニスコートや格技場などの運動施設は大正時代からあったが、唯一整備されていなかったのがプール。雑小沢の水量が豊かだった昭和二十年代は、流れをせき止めてプール代わりにし、水泳をした。 昭和三十年代から昭和四十四年までは戸田海岸で一年生対象に二泊三日の浜水泳を行った。泳ぎが得意な生徒は二、三キロの遠泳に挑んだ。男子学生が相撲を取る「戸田場所」や夜のキャンプファイアー、クラスの出し物も行われ、海が遠い御殿場の生徒たちにとっては、楽しみでもあった。 その後、五年間ほど実施されなかったが、昭和四十九年、一年生対象の「水泳訓練」が再び始まった。御殿場南高など近隣の学校のプールを借り、夏休み前の約一週間に集中して授業を行った。五十メートルを泳げない生徒や体調が悪くて授業を休んだ生徒は、夏休みに水泳の補習を受けた。 昭和五十三年、プールが完成。翌年六月十六日、プール開きが行われた。雨天のため式典だけ。当時の体育教師、渡部茂夫は「最初に入ったのは家政科の女子たちだったが、冷たい、寒いと大騒ぎ。『プールができてうれしい』という様子はありませんでしたよ」と笑う。高冷地の御殿場は夏でも涼しい日が多い。体育教師が気温計、水温計とにらめっこしながら授業内容を決めるが、水泳の授業時間は他校よりも少ないようだ。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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