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御高の正門を入ると、美しく整備された校庭に迎えられる。東は駐車場で、木に掛けた巣箱から小鳥が顔をのぞかせる。西は悠々とコイが泳ぐ池と芝生が広がり、生徒たちの憩いの場になっている。庭の中央には、第十代校長渡辺竹雄(故人)が前庭を整地する際に譲り受けてきた巨大な石が据えられている。全体の約三分の一は地中に没しているが、地上部だけで高さ一・四メートル、胴回り九メートルはある。火山灰と寒さの中で鍛えられた石は、質実剛健の校舎になじむ。
昭和四十二年ごろ、四回に分けて行った校舎の新築工事も大詰めになり、校庭の造園が始まった。「御厨平で一番大きな石を中心に置いて庭を造る」という構想があった渡辺は、石探しを呼び掛けた。渡辺が「地元産の石であること」を条件に出したので、卒業生や職員らは、休日や空き時間に学区内を探し回った。
選ばれたのは、小山町一色の民家の庭にあった石で、当時の教頭鈴木不二夫が見つけてきた。鈴木は、「富士スピードウェイに出掛ける途中で見掛けて、以前から気になっていた石があった。早速、校長を現地に連れていったが、最初は満足してもらえなかった。しかし、一年近く探してもこの石以上の物は見当たらなかった」と記憶をたどる。 渡辺が交渉に当たったが、「娘はくれても、この石だけはあげるわけにいかない。私がむしゃくしゃした時、あの石の上に登ってめい想にふけると心が晴れ晴れする。私の悩みを説き、希望と勇気を与えてくれる石だから」と断わられた。渡辺は、同窓会長やPTA会長らと持ち主宅にたびたび足を運び、「この石こそ生徒に無形の教えを与える」と懇願した。御高愛・生徒愛に感銘した持ち主は、「私の宝のこの石が多くの将来性ある若者の役に立つなら」と承知したという。 石は重さ約三十五トン。一般の運送屋では手に負えず、三十トン相当を運送する車を購入したばかりという沼津市の業者に依頼した。昭和四十四年の落成後も卒業生らが石の寄付や植樹を続け、緑豊かな庭の体裁を整えた。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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