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勝間田清一(大14卒、故人)が政界を引退した昭和六十一年の十一月、勉強会「清進塾」が発足する。前身は後援会青年部の清進会。勝間田が周囲の予想を裏切って落選した五十一年十二月、「落ちて初めて存在の大きさを知った」という塾頭勝間田正規(昭39卒)らが立ち上げた。 毎月四十人ほどの塾生が集まり、塾長勝間田が語る政治事情や国会の裏話に聞き入った。「時には酒を酌み交わしながら初恋の思い出を語るなど、くだけた集まりだった」と塾生ら。 自分の経験や生の情報を教材に使った勝間田の話は分かりやすく、面白かった。勝間田はマスコミも報じていない最新の情報を伝えた。中距離核戦力廃棄に関するINF条約調印(昭和六十二年)も半年ほど前に、「中距離核弾頭は互いに減っていくだろう」と“予言”し、外交通の一面を示した。
塾生は三十代から五十代が中心。自営、会社員、農業、医師とさまざまな職業の人たちが集まった。新聞で読んでも分からないことや疑問に思うことをメモしてきて質問したり、次回の講義で聴きたいことをリクエストした。「あまり政治に関心はなかったが、近所のおじさんのような親しみやすさだった」と勝間田正規は懐かしむ。 平成元年、勝間田が八十一歳で亡くなった。主を失った塾は勢いを欠き、やがて塾生が集まることもなくなった。その仲間が今年四月、十一年ぶりに顔を合わせ、勝間田の親類で清進塾の一員だった勝間田幸男(昭42卒)宅でバーベキューを囲んだ。「やろう、やろうと言い合っていたが、だれかが音頭を取らないと機会がなくて」と勝間田幸男。久しぶりの語らいは弾んだ。勝間田が御殿場の地に灯した明かりに思いをはせ、「また集まろう」と約束して別れた。 同時代を過ごした元社会党代議士の斎藤正男(浜松)は「優秀な政策マンを育てた。政治家というより学者肌。長い間、社会党の理論的支柱だった」と勝間田をしのぶ。 結婚式に招かれた勝間田が祝辞を求められると好んで贈った言葉は「順境不驕(きょう) 逆境不屈」。激動の時代を、波乱の人生を使命感を持って生き抜いたことを最大の幸運ととらえる勝間田からのメッセージだ。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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