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作品は人の顔の“ど”アップ。思わず、目がくぎ付けになる。被写体に肉薄し、相手の精神そのものに触れた気がしてハッと息をのむ。人の顔に正面から向かう写真家池谷俊一(昭37卒)。その作品は強烈な印象を持ちながら、本質に鋭く迫る。
撮り続けた「顔」は七百人を超えた。テーマは失われゆく顔。礼儀や思想、哲学など、「日本人らしさ」を次世代に伝えていこうとシャッターを押す。被写体は逆境を乗り越えてきた芸術家が多い。 撮影時にはとことん話し合う。どんな相手にも「表情が弱い」と平気で言い放ち、「池谷の写真は厳しい」とよく言われる。文机に向かう作家の顔や窯の火を見る陶芸家の顔、シャッターを押す瞬間のカメラマンの顔。普段は表に出ず、家族にも見せないが、だれもが持っているはずの厳しい顔、心の奥に潜んでいる無心で壮絶な部分を引き出す。
元来は映画監督志望だった。中学生のころから黒沢明監督らの撮影現場を見学。スタッフに紛れ込んで力仕事などを手伝い、シナリオの勉強をつけてもらった。御高時代も映画館に足しげく通い、感じたことや気付いたことをノートに書き留めた。「視覚には絶対の自信があったし、映画の作り方はだいたい知っていた」と池谷。二十代から三十代にかけて8ミリ、16ミリの個人映画制作に熱中した。 四十代のときに事故に遭い、三年近く仕事を離れて入退院を繰り返した。その後、写真の世界に転向した。少年時代に一世を風靡(ふうび)していた邦画がテレビの普及で勢いを失っていたことと、映画界も学歴社会で嫌気が差したことが理由だ。「挫折というのかもしれません。どうせなら人がやらないことをやろうと、手をつけられていない領域を探した。それが人の顔を撮ることだった」 今年は、写真展の企画で、成人式を迎える東京・渋谷の若者百三人を撮影した。「他人の目を気にしてばかりで、素直だが自我がない。情緒、風雅の分かる“詩人”がいなくなった」と、消えた表情を嘆く。「ファッションだけじゃなく、日本の文化や芸術を教養として身につけ、日本人の誇りを持って」と言い切る。 今夏は沼津出身の映画監督、原田眞人のロケに参加する。写真で協力する一方、映画撮影の合間に見せる親友の顔に、容赦なくカメラを向ける。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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