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 勝又 建治(農業指導)

「チチャ」の特産化めざす

 「いらっしゃい」「安いですよ」。勝又建治(昭17卒)が地元・御殿場市印野に開設した「フレッシュ百円市場」は朝市の草分け的存在で、今年で十六年目を迎える。売り手の主体は八十歳前後の女性たち。毎週土、日の午前中に新鮮な野菜や手作りの漬物を持ち寄り、それぞれが値段を付ける。売上金で肥料などを買い、次に作る農作物を計画する。「農家に現金収入の方途を与えた」「高齢者が目標を持ち、生き生きと働いている」と評価され、他市他県からの視察が絶えない。

 勝又が目指すのは、地場消費・自給体制の確立。「地元の需要を満たしてから、消化しきれない分の作物をよそに売るべき。大都市は黙っていても大量に送られてくるから、だれがどこで作った作物なのかも知らず、消費するだけ。本来は、産地を回って『売ってください』と頭を下げなければならないのに」と、持論を展開する。

 勝又は戦時下の中国・海南島海軍産業試験場や北駿地区農業技術指導農場を経て三十四年間、県の農業改良普及員を務めた。普及方法と麦および雑穀分野の農業専門技術員資格も持つが、「知識と技術は偏らず、幅広い方がいい」と、普及員の立場にこだわる。後輩の普及員たちに「農家に“指導する”というのは間違い。現場ではベテランの農業者から教わればいい。農家の相談に乗るなかで、私たちの知識が使えるときに使わせてもらいなさい」と“心得”を説き、「勝又イズム」と呼ばれた。

普及員に強いこだわり  

 現在、勝又はアンデス地方原産の色が黒いトウモロコシ「チチャ」を使った製品開発に力を入れている。昭和五十七年から二年間、野菜の流通改善で派遣されたペルーで出合った。現地住民は果物と一緒に煮た汁を発酵させて酒を造り、祭りや神事の供え物にしている。赤紫色をしたチチャ酒は、さっぱりしていてほのかに甘い。

 勝又は、持ち帰った種子を自宅で栽培し、収穫したチチャを東富士開発農組みくりや食品と三島市の日大短大食物栄養専攻に持ち込んだ。色合いを鮮やかにしたり、砂糖で甘さを調整するなど工夫した。完成したチチャ飲料は「ふよう21」と命名し、特許を申請中。染料や食物の着色料への活用も研究中で、「日本チチャ生産組合」と銘打って同志を集め、種を分けて栽培している。

 「ペルー第二の都市、アレキッパ市にあるミスティ山は姿形が富士山そっくり。日系人から『アレキッパ富士』『ペルー富士』と親しまれている」と勝又。芙蓉(ふよう)を望む両市の交流を願う勝又の思いが「ふよう21」に込められている。

(文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年。


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