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創立から約四十年間、同窓会長は歴代校長が務めた。職員と卒業生それぞれ一人が任期四年の副会長を務め、御殿場周辺と京浜の合わせて十二地区に支会を置いた。 昭和十五年九月の会則改正で、卒業生の中から選挙で会長を選ぶようになった。初代同窓会長塚本要(明36卒、故人)は玉穂村(現御殿場市)の元村長で、卒業後も同窓生たちと校友会を組織して時々学校に集まり、教師から農学の指導を受けた。昭和十八年、戦時の滑空訓練用にグライダーを寄付し、学校から感謝状を贈られている。 二代は鎌野源一(明39卒、故人)。続いて初代御殿場市長の勝又春一(明40卒、故人)が終戦の昭和二十一年まで務めた。
約三十年間、卒業生をまとめ上げ、創立五十周年から七十周年までの三回の節目を乗り越えたのが、四代斉藤昌雄(明40卒、故人)。駿河信用金庫の創立者でもある斉藤は昭和三十年、同窓会の外郭団体として財団法人県立御殿場高校教育振興会を設立。昭和三十九年から始まった校舎と体育館の改築に当たって、総額三億四千万円の地元立て替え建築資金の調達に奔走した。全長百八十五メートルと横長の新校舎は昭和四十四年に完成し、落成記念式典が華々しく行われた。 創立八十周年記念は同窓会館。五代西山孝儀(大2卒、故人)は役員や支部長らとともに奉加帳を持って卒業生宅や企業を一軒一軒回った。予想以上に多くの寄付が集まり、借入金と合わせて総額約二億二百万円で「みくりや会館」を設置した。部活動の合宿や同窓会の会合、夜の集まりなどによく利用されている。 六代池谷忠雄(大15卒)は、創立九十周年に先だって同窓会、教育振興会、PTA、体育・商業・家政の各後援会の六団体から成る実行委員会を組織して委員長に就任した。平成二年十月に初めて開催された「御殿場高校同窓生・関係者の集い」は七百人余の卒業生が一堂に集まり、盛り上がりを見せた。卒業生と職員約四百人の投稿をまとめた記念文集「雑小沢」を発刊した。 百周年に向けてレールを敷いた七代野木達夫(昭12卒、故人)は、卒業生の中から年次別の実行委員を選出し、全体総会の体制を整えた。野木の娘婿で現校長の天野忍は「御高発展の具体的な構想を新聞広告の裏白に大きな字で書いて示し、意見や感想を求められた」と義父の思い出を語る。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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