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「学校のことは学校に任せているが、心の教育はお願いしたいですね。御高の生徒は皆、礼儀正しく、あいさつがよくできる。この礼儀正しさを守り続けてほしい。親や学校に感謝する気持ちを忘れず、百周年を迎えた御高を誇りに思ってもらいたい」。現同窓会長の八代、長田璋(昭16卒)は二十一世紀の御高生にエールを送る。
百周年記念式典に向けて二年ほど前から活動が本格的になり、他の役員らとともに打ち合わせや準備に追われる。六月には創立百周年記念版の会員名簿が完成した。来年十月の記念式典に向け、記念誌編集やモニュメントの制作、同窓会館の改修など事業はめじろ押し。学業継続が困難な生徒を支援する奨学金制度の育英事業や、国際交流事業も計画に上っている。「母校が大きな節目を迎えるときに同窓会長をやらせていただくのは幸せなこと」と忙しく飛び回る。
父や妻、孫も御高生。「私は自宅がある小山町大御神から一時間余り歩いて通学したが、孫は自転車で通っていました。時代が違いますね。私たちは繰り上げ卒業が行われた初めての学年で、修学旅行がなかった。軍事教練では配属将校が厳しくて」。戦時下の辛い思い出は多いが、「北駿唯一の学校に学び、クラスの仲間六十一人をはじめ、先輩、後輩も含め多くの人間関係が結べた」と御高の良さを挙げる。 終戦後は家業の農業を継いだ。昭和三十九年、地元に富士スピードウェイが開設されると、六十八人の株主とともに北郷商事を設立し、代表取締役に就任。園内で売店などを展開する。大きなレースでは観客の一員となり、巧みな技術でヘアピンカーブを走り抜けるレーサーに目を輝かせる。 青少年教育に関心が深い。昭和四十一年の息子の入隊以来、ボーイスカウトにかかわるようになり、ボーイスカウト県連盟理事を十年間務めた。町では社会教育委員を二十年、町議会議員を十二年務め、平成元年から二年間、議長に就いた。 町内の中学校庭を借り、生徒とスカウトが合同で野営したことがある。「火のたき付けもできない子が多かったが、『キャンプ体験を通して、自分で食事の後片付けをするようになった』と、親たちから聞いた。うれしかったですね」。野外で集団行動し、心身を鍛錬するボーイスカウトは、富士登山やクロスカントリーで質実剛健の気風を養う御高生に通じるところがあると思っている。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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