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「ガチャガチャガチャガチャ、ピュウドンドン、インドのカラスは色黒い、まんじゅう、ようかん、味甘い、稲が実れば秋が来る、御実選手は皆強い」。戦前から歌い継がれている応援歌を聴いた勝又敏夫(昭29卒)は、ショックを受けた。「対外試合で本当にこの歌を歌うのか」。複雑な気持ちだった。
二年生のとき、文化委員会の運営委員になった勝又は、新しい応援歌づくりを提案する。生徒会で可決され、全生徒から歌詞を公募した。「言い出しっぺがやらないと」と勝又も応募した。集まった十八作品が職員会議にかけられ、勝又の詞を含む二編が最終選考に残った。語句を練り直して再提出することになり、勝又は親友で国語が得意な田中祐司(昭29卒)に文法上のチェックを依頼し、応援歌に選ばれた。 曲を付けたのは、毎週東京から音楽の指導に来ていた講師の永田貞子。明るく、伸び伸びとしたメロディーに仕上げた。 創立百周年の記念誌は、「千古の雪を戴ける 芙蓉(ふよう)の峯(みね)を背景(あと)にして」で始まる格調高い校友歌や校歌とともに十篇以上の歌を発掘し、紹介する予定だ。校友歌は、物理と農業を教えた有薗仁蔵(故人)作詞。校歌は昭和二十三年、前田晴康が作詞、当時御高講師の風間清が作曲した。
記念誌には当初、校歌と校友歌の詞を載せるだけのつもりだった。今年春に開かれた二種商業科昭和十六年卒のクラス会で、だれともなく学校の歌の話になった。皆で記憶の糸をたぐり、おぼろげながらも口ずさみ、歌詞を書き付けた。百周年誌編集委員の幾田裕男(昭16卒)は「思い出の歌を残したい」と掲載を提案した。 応援歌や校歌など学校の歌は代々、三年生が男子生徒を集めて指導した。「声が小さい」と上級生にどなられ、下級生は怖い思いもした。覚える機会は他になかったので、熱心に練習した。 「ガチャガチャ」応援歌を作ったのは、大正十二年から昭和二十五年まで商業と英語を教えた林英一(故人)。文才のある親しみやすい教師で、人気があった。林の応援歌を生徒たちは大喜びで受け入れ、林には歌詞から取った「まんじゅう」のあだ名が付いた。 七月までにほとんどの歌詞が集まり、「偕笈(かいきゅう)歌集」と名付けられた。しかし、楽譜が残っていないものも多く、現在も調査が続く。幾田は「メロディーは卒業生の頭の中に残っているだけ。CDなどを作成して伝えられたら」と、構想を練っている。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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