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 ストライキ(下)

 民主化の流れ敏感に

 昭和二十二年一種(農業科)卒の同窓会。近況報告の後、必ず話題に上るのは二十一年六月のストライキだ。御高二度目のストで、戦後では県内初だった。


昨年夏に開かれた22年一種卒の同窓会=御殿場市内

 当時、何かにつけて「態度が悪い」と生徒を殴る元軍事教官の教師がいた。斉藤孝男(昭22卒)は職員室で別の教師と話をしていたところ、「その口の利き方はなんだ」としかられ、たたかれた。顔にけがをした生徒も出た。「意味もなく暴力を振るわれている」と感じた斉藤ら一種の最上級生たちは校庭に集合。教師を追放しようと話し合い、全員一致で授業ボイコットを決めた。

 参謀役は斉藤、鈴木光男渡辺利雄渡辺茂幸小宮山修一(いずれも昭22卒)、野木修司(昭23卒)ら。応援団長だった斉藤が下級生を集めて説明し、全校生徒に三日間自宅で待機するよう伝えた。鈴木らは『雑小沢の流れは再び雑小沢に返れども、われわれの青春は再び戻ることがない』の書き出しで始まる檄(げき)文を職員室近くの廊下に張り出し、スト決行を宣言した。

 暴力教師の更迭を迫る    

 驚いた教師らは各家庭を訪問して回ったが、生徒の団結は固かった。代表者が静岡まで出掛けて県庁にあったGHQの支部に「直訴」し、残りの生徒たちは校長室に押し掛けて更迭を迫った。教師はすぐに退職した。

 ストを体験した生徒たちは民主化への流れに敏感になり、グループを作って議論を戦わせるようになった。「若かった。正義感に燃える青春の発露だった」と鈴木。石坂洋次郎の小説「青い山脈」の登場人物に自分たちを例える仲間もいた。だが、退職に追い込んだ教師のその後を案じる生徒も少なくなかった。斉藤は「勝って良かったとは思わない。今考えれば、悪いことをした」としみじみと語る。

 同年九月、しごきの是非をめぐって、ストでは団結した最上級生の意見が真っ二つに割れた。ほとんどの生徒がしごきの洗礼を受け、不条理を感じていたが、「自分がやられたのだから下級生にもやる」と考える生徒も少なくなかった。賛成派と反対派が決着を付けようと校庭を二分してにらみ合い、一触即発の緊迫した雰囲気。じりじりと間合いを取りながら校庭を回ったが、乱闘は免れた。その後、地区が同じ生徒同士で話し合い、両派は仲直りした。「同じ北駿の仲間だからね」と鈴木。斉藤も「結局、しごきは悪いことだと皆、分かっていたんですね」と笑う。この日以来、しごきはなくなった。

(文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年。


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