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 馬飼野正治(前日本体育会理事長)

人柄示す五輪選手村事件


馬飼野正治さん

 昭和三十九年の東京オリンピック、神奈川県大磯に設けられたヨット競技の選手村で、ちょっとした事件が起きた。選手として大磯に滞在していたノルウェー皇太子の姿が、門限の午後八時になっても見えない。就寝前の点呼を行う九時になっても連絡がない。外務省を巻き込んでの大騒ぎになり、選手村村長を務めていた神奈川県体育協会理事長、馬飼野正治(昭5卒)は真っ青になった。

 大磯選手村はタイ国皇太子も宿泊していたため、警備は厳重だった。門に立つ警官は、皇太子が自国の選手たちと外出するのを確認したが、すぐに戻ると判断していた。情報を集めると、どうやら連れ立って熱海へ遊びに行ったようだ。馬飼野はまんじりともしないで朝を迎えた。


大磯選手村村長を務めた馬飼野さん。各国の記念撮影に引っ張りだこだった(昭和39年、右から5人目)
 その朝六時ごろ、皇太子ら六人が帰村したと連絡が入った。馬飼野はすぐさま同行した選手とお供の武官を呼び出し、「大ばか野郎」と怒鳴りつけた。日本語が通じないと承知していたが、夢中で言葉を続けた。「ヨットはジェントルマン・スポーツだと思い、選手に敬意を表していた。それが、こともあろうに規則違反で朝帰りするとは」。

 うなだれて謝る選手たちに、馬飼野は「謝れば、こちらもスポーツマン。このことは目をつぶろう」と声を掛け、穏便に済むように取り計らった。馬飼野の気持ちは皇太子にも伝わった。皇太子は自ら謝罪に来て、握手を求めた。

 朝帰りの選手をしかる    

 馬飼野は白糸の滝に程近い富士宮市上井出の出身。幼いときから運動が好きで、競走で負けたことがなかった。父から農事監督の資格が取れる学校への進学を勧められたとき、いくつかあった候補校の中から御高を選んだのは、スポーツの名門として知られていたからだ。入学後は陸上部に所属。身長一五八センチと小柄だが、歩幅を大きくして走るロング・ストライド走法でリレーの選手になり、毎年県大会に出場した。

 日本体育会体操学校(現日体大)に進学し、体格の差から陸上競技をあきらめて創作ダンス部に入部。卒業後は教員になり、ダンス指導とスポーツ振興に尽力した。熱海の小学校に勤務した昭和十年ごろ、芸者たちにラジオ体操を指導し、日本体操協会から表彰された。神奈川県指導主事時代の昭和三十年、神奈川国体に県民総参加のマスゲームを取り入れ、大成功を収めた。

 平成七年から約二年半、母校日体大を運営する学校法人日本体育会理事長。神奈川県体協副会長だった平成十年、二巡目の国体「かながわ・ゆめ国体」に参与として加わり、秋季大会の閉会宣言を行った。

(文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年。


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