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―人の言う事は何でも「はい、はい」と聞く、お人好しで働き者の“おゆき”が、「六十歳になったら口減らしのため、巡礼に出て二度と帰らない」というおきてに反抗し、村から姿を消す。その後、機織りをする村の若いお嫁さんたちのもとに、夜な夜な、やまんばが現れるようになる―。
少年時代から作家を目指した。読書好きで、大衆児童文学の傑作を多く出した月刊雑誌「少年倶楽部」を夢中で読みふけり、佐藤紅緑の「あゝ玉杯に花うけて」や大仏次郎の「鞍馬天狗」に魅せられた。「自分も人に夢を与える本を書きたい」と小学生の浜野の思いは募る。貧しくとも苦学して身を立てる小説の主人公さながらに、東京の夜学に通いながら作家修業をしようと企てたが、ひそかに書いた願書が先生に見つかって失敗した。
地元中学の教師になっても、子供のころからの夢をあきらめなかった。昭和二十七年にひざを痛め、通院のため上京。向学心に燃えて早稲田大学第二文学部に入学し、東京の小・中学校で教えるかたわら、日本文学を学んだ。その後、昭和五十四年に退職するまで教師と、児童文学創作や評論・研究の発表を二足のわらじでこなした。戦国の世に生きる舞姫と悪党を描いた「とねと鬼丸」や、ユーモアに富んだ現代もの「ハヤブサ少年探偵団」シリーズなど、著書は百二十冊余に上る。 教員時代は国語と社会科担当で、放課後は野球部や相撲部の顧問として、辺りが暗くなるまで生徒と付き合った。「もともと子供好きなので充実した教員生活だった。児童文学を始めたのも、子供たちとの触れ合いがあったからこそ。今でも教え子たちと付き合いがあります」と笑顔で語る。学校を舞台にした作品の多くに、子供たちを見守る寛容で親しみやすい教師を登場させている。一方で、「昔は命にかかわるようないじめはなかったが、最近、盛んに聞くようになった。教師がもっと、生徒を把握するべきなのに」と荒れた学校を心配する。 最近の著作は「吉川元春」「北条時宗」などの一般向け歴史小説が多い。「歴史小説は自分で調査する楽しみがある。児童向けの童話は発想するのが難しいので大変だが、どちらの分野も並行して書いていきたい」と、創作意欲をかき立てる。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年 |
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