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 根上真一(理学博士)

古き良き米国に恩返し

 昭和四十二年ごろ、米国・フィラデルフィア郊外の化学会社に勤めていた根上真一(昭28卒)は、上司から「ユニオンチケットという言葉を知っているか」と尋ねられた。米国では、組合に入っていれば、レイオフにあっても雇用保険と組合契約で収入が保証されている。だが、学卒のホワイトカラーは組合に入れない。「この国で自分の身を守るためには、最高の学位を持つ以外に方法はない。ホワイトカラーにとってのユニオンチケットは博士号なんだ」と諭された。


アメリカ・ビーバートン市の名誉市民証を手に米国生活の思い出を語る根上さん=御殿場市内
 根上は当時、三十三歳。米国・リーハイ大学化学学部の修士課程を卒業し、現地で家を買い、生まれたばかりの娘もいた。上司の言葉に深く考えさせられた根上は四十二年九月、退社してオハイオ州立ケント大学大学院に入学した。家を売り払い、アパートに移り住んでの再スタートだった。

 勤めている間に消滅してしまった単位の取り直しから始め、化学の四分野で行われる資格試験の受験、論文制作と、寝る間も惜しんで勉強した。四十四年十二月、根上は最短年月で理学博士の学位を授与された。自分の運命を変えた上司の言葉を、「今までの人生で最も貴い忠告だった」と振り返る。

 「温かくてオープンマインド。古き良きアメリカとアメリカ人の時代だった」と根上。約十三年間の米国生活を終えて帰国し、地元企業に勤めたり、大学で教鞭(べん)を執った。留学経験を基に御殿場市の国際交流を推進し、昭和六十年、市姉妹都市協会を立ち上げた。「世話になった米国への感謝の気持ちを、社会に還元したい」という思いが根底にあった。

 民間で国際交流を先導    

 既に姉妹都市提携していた米国・チェンバスバーグ市の学校と御殿場市内の小・中・高校で姉妹校を結ばせ、中学生約二十人をチェンバスバーグに派遣した。加えて、同国・ビーバートン市との提携を推進。現地とファクスでやりとりし、送受信したファクス用紙が分厚くたまった。妻の淑子(昭28卒、旧姓小野)は「家を顧みず、夢中でやっていました」と笑う。

 昭和六十二年にビーバートン市との姉妹都市提携が結ばれ、根上は、軌道に乗せた活動を市役所主体の国際交流協会にバトンタッチした。平成三年、尽力を評価されて同市の名誉市民に選ばれた。活動を始めたころは反対の声もあったが、今では「スポーツや趣味などの同好の士で交流をしてみたい」「現地の農業を視察したい」など、幅広い世代から積極的な意見が聞かれるようになった。

 御高時代は、物理教師の山下美雄(故人)を囲んで物理部を作った。部室はたまり場になり、仲間と化学について語り合ったり、山下の話を聞いて盛り上がった。同級生だった妻とは、思い出話が尽きない。

(文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年


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