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昭和二十七年夏、山形県酒田市で開かれた全国高校籠(ろう)球選手権大会。御高女子籠球部は二回戦で、長野県代表の強豪岡谷東高とシーソーゲームを繰り広げていた。
一方、「勝敗にこだわらずバスケットボールを楽しむ」がモットーの御高は、部員わずか十人で半数が新入生。御殿場中時代に県大会を制した土屋くら子(旧姓持麾)、植松素方(旧姓幾田)、岩田崇乃(旧姓勝又)、伊藤詔子(旧姓高杉、ともに昭29卒)の二年生四人組が、主将でただ一人の三年生高橋房子(昭28卒、旧姓高村、故人)のわきをガッチリと固めていた。 顧問の高杉隆三(故人)はバスケは専門外だった。土屋は「私たちは五人で力を合わせて戦う粗削りのチーム。もともと強い学校ではなかったし、県大会でもダークホース的存在と言われていた」と思い返す。
御高はゾーン、岡谷東はマンツーマンで互いに防御が堅く、得点が少なかった。前半、御高メンバーはよくフォローし、徹底したマークで相手の反則を誘った。だが、試合前から岡谷東の前評判を聞いていたせいか、動きが硬く、18対14の2ゴール差を許して折り返した。 後半、調子を取り戻した御高は持ち前の「足の速さ」を生かした積極的な攻めで猛追し、逆転。その後もわずかな差でリードを奪い合う接戦が続き、会場は大いに沸いた。 終了三分前、記録係の過失で土屋が五反則を言い渡される。誤りに気付いたベンチがすぐに抗議し、認められた。このわずかな中断が流れを変えた。御高の虚をついて岡谷東が速攻をかけた。体制を立て直そうとフォーメーションを組んだが、選手の動揺は大きかった。単純なパスミスで敵に渡ったボールがゴールに決まった瞬間、試合終了の笛が鳴った。後半は24対23、総得点42対37で敗れた。 植松は「終了間際までリードしていたから時間稼ぎをすることもできた。でも、勝ったからいい思い出になるという訳でもない。私たちはバスケが好きだったから、精いっぱい戦った」と振り返る。 岡谷東は順当に勝ち進み、決勝でも大差を付けて優勝した。土屋を喜ばせたのは「御殿場戦が一番苦しかった」という岡谷東高主将のコメントだった。選手たちの胸に「来年こそは」の熱い思いが沸き上がった。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年 |
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