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「まさか、先生の言葉が本当になるとは」。昭和四十一年十二月二十日、全国高校駅伝大会が開催される京都に降り立った陸上部部長滝口富蔵(昭42卒)は、感激と興奮で胸がいっぱいだった。
成果はたちまち現れ、四十年は四位で東海大会出場。四十一年に優勝し、全国行きを勝ち取った。記録は2時間15分45秒の大会新で滝口、山口幸芳(昭42卒)、大村勝(昭43卒)、勝又博司(昭44卒)の四人は区間賞を取った。当時、簿記も強かったので校長の渡辺竹雄(故人)は「文武両道を制した」と喜んだ。 2時間15分台は全国でもベスト10に入るタイムだったため、全国大会にかける周囲の期待は大きかった。京都へ出発するにあたり、市をあげての壮行会が開かれ、御殿場市役所から駅までパレードが行われた。
二十五日午後一時、ピストルの合図で各県代表四十六校の選手が一斉に、西京極競技場をスタート、都大路を走りだした。一区一万メートルはかなりの登り坂。千五百メートル障害で全国大会出場経験を持つホープ大村は、32分28秒で29位につけた。前半から飛ばした滝口は二区三千メートルで四人抜き。三区八千メートルの山口も一人抜いて24位に上がった。 四区八千メートルは、体調を崩した正メンバー梶伸一(昭43卒)に代わって林喜久夫(同)が力走し、25位で五区の勝又茂(昭43卒)にたすきをつないだ。積極的な走りを見せた勝又と、登り坂の六区で抜きつ抜かれつの激戦を繰り広げた稲和芳(昭44卒)が順位を守る。七区五千メートル、アンカー勝又博司は25位でゴールに飛び込んだ。記録は2時間19分25秒。勝又博司は「期待にこたえられない結果で申し訳ないと思った」。 その夜、旅館に帰ったメンバーを待っていたのは、鈴木らが準備した一日遅れのクリスマスパーティーだった。このときばかりはすべてを忘れ、食べて歌って目一杯騒いだ。「何でも挑戦。初出場できただけで良かったし、いい思い出になった」と山口。 翌日、帰郷する部員たちの顔は明るかった。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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