<58>

 部活動(商業=簿記)(2)

同志会が創設、10年間続く

 昭和四十九年十月の御厨祭の日、御高を会場にした「簿記優秀校対抗簿記コンクール」が開かれ、他県からの招待校や県内商業学校など十校約百五十人が参加した。全国の生徒が問題に必死で取り組む姿を見て、大会を企画・運営した御高簿記部同志会のメンバーたちの胸に、熱いものが込み上げた。

 同志会が正式に発足したのは昭和三十五年ごろ。頻繁に学校に顔を出しては差し入れをしたり、後輩に勉強を教えていたOB、OGを、初代会長の勝又三雄(昭34卒、故人)がまとめた。


会場準備から採点まで手作りで開いた優秀校対抗コンクール(昭和51年)
 大会の日には会場まで応援に出掛け、都合がつかないメンバーは疲れて帰ってきた後輩たちを御殿場駅で出迎えた。春休みにハイキングを楽しむなど、勉強以外の交流も深めた。三十八年からは、一年間の成績や卒業する部員の思いなどをつづった機関誌「いぶき」を発行した。

 関野菊江(昭36卒、旧姓勝又)は「先輩の体験談を聞くことで、大会出場前の不安が解消された」。武藤佳代子(昭39卒、旧姓田代)も「活動は決して強制ではなかったが、伝統になっていて自然に参加した。皆、仲が良かった」と学年を超えたつながりを強調する。

 「優秀校対抗」が誇りに  

 十年間限定の簿記大会開催を学校側に持ち掛けたのは、同志会二代目会長杉山正文(昭41卒)。優勝の喜びもさることながら、「練習したのに大会に出場できないつらさ」をだれよりも良く知っている会員たちの発案だった。杉山は「ほとんどの大会は一校で五人しか出場できないし、大会の数も少ない。もっと多くの生徒に競技会を経験してもらえたら」と、個人の部の出場人数制限を取り払う構想を訴えた。

 同志会の意見に学校も賛成した。問題や表彰状は同志会が手作りで用意し、試験官などのスタッフは御高職員も協力した。当時の簿記部顧問金親照司(昭26卒)には「全国の学校に招待状を出したが、わざわざ御殿場の片田舎まで来てくれるかどうか」と不安があった。参加希望の返事が相次ぎ、益田(岐阜)、銚子商(千葉)など遠方から来る学校の宿泊施設の手配に追われた。不安はうれしい悲鳴に変わった。

 自由参加のため、第一回大会では百点満点で点数が一けたしかない生徒もいた。しかし、「優秀校対抗」と銘打ったことからコンクール出場を誇りに感じる生徒が多く参加校は増え、最盛期には十四校三百五十人を数えた。

 昭和五十七年になると全国各地で簿記大会が開かれるようになった。大会数が増え、「多くの生徒に大会経験を」という所期の目的は達成されていた。同志会は当初の計画通りコンクールにピリオドを打ったが、存続を望む声も高かった。

(文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年


掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年 静岡新聞へ