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「富士山のおじさんへ。二十歳になったら今度は頂上を目指します。その時はお世話になります」「僕らが降りてくるのを、旗を振って待っていてくれてうれしかった」。富士山御殿場口五合目で山室(むろ)「大石茶屋」を営む勝又太郎(昭10卒)の手元には、全国の子どもたちから送られた手紙や感想文が大切に保管されている。
勝又は学校行事で訪れる小、中学生らに富士山の歴史や登山時の注意などを分かりやすく説明する。話がうまく伝わるように自分の経験や客から得た情報、新聞記事、資料などを載せた独自のパンフレットも作ってある。高山植物や天気、生息する動物など好奇心おう盛な子供たちの質問は尽きず、日々の勉強は欠かせない。
平成六、七年と二年立て続けで雪崩の被害に遭い、大石茶屋は半壊した。「自然災害を前にしてはどんな神様の存在も信じられなくなるよ」と勝又。それでも再建できたのは、富士山での出会いが人生の支えであり、楽しみだからだ。 山室で登山者をいたわり、励ます卒業生は多い。御殿場口を登って行くと、福島利巳(昭21卒)が七合五勺(しゃく)と八合目の二軒を切り盛りする。須走口で最も古い山室の一つが山頂の「山口屋」。主の高村一男(昭7卒)は「山頂まで来れば大したもの」と登山客を笑顔で迎える。須走口を下って八合目の「江戸屋」は菅沼万三(大13卒、故人)が守ってきた。六合目の「瀬戸館」三代目は瀬戸義文(昭63卒)。 本七合目「見晴館」に嫁いだ林恵美子(昭53卒、旧姓勝間田)は「ご来光もいいが、夕方の影富士が好き。空が虹色を帯びて、何とも言えないほど美しい」と見どころを語る。 ご来光を拝むために夜通し登ってきて宿を求める登山者もいれば、休息を終えて早々と出発する客もいる。シーズン中、山室関係者は朝から晩まで休む暇もないが、日本一の山で働く誇りと出会いに満ちている。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。
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