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 私の思い出(1)(勝間田清一氏の送辞)

地域で果たす役割を自覚


土屋卓郎さん
 御高の資料室で勝間田清一(大14卒、故人)の名を見つけた。郷土が誇る清一氏が、代表として読んだ大正三年三月の卒業式の送辞である。清一氏の考え方とこの頃の御実生徒の認識が分かるだろうという期待に胸おどらせた。

 当時、北駿唯一の中等教育機関である御実には、地元の熱い期待が寄せられていた。そこへ、大正十二年県立移管となり甲種実業学校に、十三年に中等学校の学力と同等以上の学校に認定と、喜びが重なって地区の期待は高まる一方であった。そうした地区の思いを、当時の生徒はどう受け止めていたのか、自分の使命をどう考えていたのか、それを知りたかった。


勝間田清一氏の送辞
 清一氏の送辞は「天壤ト共ニ長エナル天ツ日嗣ノ」と、文語体で始まり「県立最初ノ卒業生タル栄冠ヲ荷ワレ」と、県立最初の卒業であることを祝っている。そして、卒業生の使命を「諸兄ガ郷里ニ帰リテ農村振興ニツクサレ、又ハ上級学校ニ進ミ・・・・・・益々皇国ヲ向上サセ、以テ一等国タルノ面目ヲ発揮セシメンニハ、一ニ農学ヲ修メタル諸兄ノ力ニ待タザルベカラズ」と述べている。

 これは、優秀であった清一氏だけの考えかと次年度に目を通すと、「今ヤ世界大戦モ干戈ヲ治メ、欧米各国只管ニ国力ノ充実ヲ計リツツアリ、然ルニ吾国ノ実業及ビ経済界ハ如何・・・・・・諸兄ハ従来蓄積セル学識ト技術トヲ活用シテ、吾皇国ノ向上ニ貢献セラレン事ヲ」とあった。

 高い認識あふれる気概  

 一御実生徒でありながら、世界の情勢をにらみ、日本の現状を若者なりに把握したうえで、卒業生と自分達のあるべき方向を述べていることに驚く。この認識と気概は、当時の生徒が共有していたものにちがいない。そこには、御実で学ぶ者の誇りをも感じさせる。

 この頃は第一次大戦後の経済不況時で特に農村は繭価や米価が下落し、不況が深刻化し始めていた。そこへ関東大震災や国民精神作興に関する詔書が発布され、それまで社会全体を占めていた大正デモクラシーの潮流が影を潜めつつあったときである。

 だからこそ、自分達は学んだ近代的な農学を生かして農村を振興させなければならない、地域発展の指導的役割を果たさなければならない、そうすることで国家に貢献したい。国家意識の強い時代に学んだ当時の御殿場実業学校生徒は、これが自分の使命であると強く認識していたものと考えられる。

(御高百年史編集委員・土屋卓郎=昭25卒)

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