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 私の思い出(2)女学部

体育の授業になぎなた


天野ユキヱさん
 大正末期から新設高校になるまでの間、御殿場実業学校には、女学部が併設されていた。五十人一クラスで四年制だった。

 普通教科のほかに、裁縫・料理・華道など一通りの女子教育が行われていた。裁縫は単衣、袷(あわせ)もの、袴(はかま)、普段着まで幅広い内容だった。夏休みには養蚕実習があり、蚕を飼育したり、学校の裏の畑で桑の葉を摘んだ。


なぎなた操法を披露した運動会(昭和15年卒業アルバムより)
 校内に独立した武道場の建物があり、男子生徒は柔剣道に、女子生徒はなぎなたの稽古(けいこ)場に使っていた。女子生徒は学校備え付けのなぎなたで、黒の袴に白鉢巻き姿で、体操の三木ムメ先生(故人、旧姓西本)のご指導で、体育授業の一部として行われた。

 秋の陸上運動会には、ダンスや徒歩競走と共になぎなた操法の披露もあった。また大寒の最中に、寒稽古が一週間あった。最近のような暖冬ではなく、氷点下何度という寒さの中、普段通り家庭内の自分の役割としているふき掃除など済ませて、体を温める暇もなく、早朝学校へ急いだ。学校生活の中で最も苦行だった。

 霜を踏み締め軍事教練  

  昭和十二年卒業の方々のバレーボールのチームは試合が強くて、県大会にまで進み優勝した。中島初江さん(故人)、堀内よね子さん(旧姓渥美)、須田操子さん(旧姓太田)など優れた攻守力を持った方々がそろった優秀なチームだった。加えて、三木先生のご指導が功を奏したものと思う。先生は体育のほか音楽も教えていて、優れた指導力を持った方だった。

 この当時は、北支事変の最中だった。

 私たち生徒は、出征兵士の方の家庭へ農作業の奉仕に行き、田植えなどの手伝いをした。また女子生徒も運動場の霜を踏み締めて、査閲や分列行進など軍事教練にも参加した。このように軍事色濃いなか、昭和十五年まで学校恒例の修学旅行もあった。

 伊勢神宮参拝、京都では清水寺や、嵐山での屋形船での川下りを楽しみ、奈良は猿沢池の畔の宿に泊まった記憶がある。また、吉野まで足を延ばし、吉野神宮や後醍醐天皇御陵にも参拝、さまざまな歴史の跡を訪ねることができた。

 そのころは、生野写真館主が旅行に同行してくださって、折々の記念写真を撮っていただき、よい思い出になっている。この思い出の旅もすべて秋口常太郎校長(故人)のご先導で無事に済ますことができたが、ますます戦争が激しくなり、修学旅行もこのころが最後で取りやめになってしまった。

 (天野ユキヱ=昭15卒、旧姓勝又)

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