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私の思い出(4)(戦後復興)

夏は禁止のげたで通学


鈴木玲子さん
 錦繍(しゅう)の衣をまとった箱根連山が晩秋の淡い光の中にくっきりと鎮もり、庭先には色とりどりの野菊が静かに揺れている。私たちの青春“高校時代”は戦後数年足らず。復興の道へだれ彼となく第一線に並び、皆貧しく優しくまじめですべてにおいて一生懸命だったと思う。

 私はわがままだったので自分の好きな科目には夢中になり、また、図書館に行くのが何よりの楽しみだった。普通科は女子が少ないせいか、男子との授業がほとんどだったので、種々教えられることが多かった。


男女が机を並べる普通科の授業風景(昭和28年ごろ、「70年の歩み」より)
 私たちはとても素晴らしい先生方に恵まれていたのではないか。都会からの若い先生方が多く、個性豊かな洗練された感覚を私たちに与えてくださった。

 格調高い講義をしてくださる古文の永井三郎先生、色白き美男子の英語の林昭夫先生、鼻眼鏡の田中英雄先生、解析2(数学)のちょっとお腹の出た高見沢戒三先生、片足をぴょこんとはねる癖のある社会の松原進一先生、生物の岩田豊先生、どんな答えでも褒めてくださる国語の谷口昭二先生、「ニーチェが申しますには」が口癖の社会の吉川健郎先生、etc!今どこでどうしていらっしゃるのか。

 個性豊かな若い先生方  

 校内に雑小沢が流れ、友とボロ橋の欄干にもたれ、嫌いな授業をさぼり、あのころ大ヒットした映画「誰が為に鐘は鳴る」のクーパーとバーグマンの批評をして、生意気盛りだった。

 私は高根出身だったので歩いて三十分ほど晴れた日は砂ぼこり、家数も少なく補習授業などで夕方一人で帰るときには家の明かりから次の家の明かりの見えるところまで走って帰った。夏はげたで通学、F先生に「げたは禁止」と注意されたが反抗してそれでも履いて通った。それほど今のように規制が多くなかったように思う。

 最も印象深いものの一つに運動会の応援合戦がある。縦割りだったので一年から三年生までの応援の練習、上級生のユニークな衣装に大笑いしながら参加した大変楽しいひとときだった。どうしても上級生には遠慮がちの点があったと思うが、そのことでとても先輩方が身近に親しみやすくなった。

 「青年は未来を語り老人は過去を語る」という言葉通り、年金を頂く日も近く寂しさが身にしみる今日このごろだが、生命ある限り高校時代の思い出を大切にしたい。

 老いに染(し)む 色はらわんと駆けてゆく 白き原野に斜光流るる  

 

(鈴木玲子=昭30卒、旧姓横山)

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