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御高祭は文化祭が二日間、体育祭が一日から成り、大正時代からの人気のある行事だった。北駿地方の小学校児童も参加し、書や絵画のコンクールを開いて作品を展示したり、リレー大会を行った。農業科の農産物品評会も安く販売するので地域の人たちに好評だった。 その御高祭が中止になったのが昭和三十三年、狩野川台風があった年だ。私は一年生で、生徒会書記をしていた。
本来は十日から十二日までが御高祭。多くの生徒や地域の人が楽しみにしていたし、日が迫っていたので各部の準備や練習もだいぶ進んでいたようだった。奉仕作業の日は三年生が九日、二年生が十日、一年生が十一日。受験間近なので強制ではなく希望者を募って、という形だったがほぼ全員が参加した。
駿豆線仁田駅で下車し、日守地区へ向かった。川の水量はまだ減っておらず、黄色く濁っていた。生々しい赤土が辺り一面に見え、道路は土で粘っていた。上級生たちが流材の片付けをやったと聞いていたが、どこをやったのか分からないほどだった。ボランティアの人たちが各地から来ていて、御殿場からも青年団や消防団が手伝いに来た。 私たちは男子五人、女子四人ずつのグループで各家を手伝った。男子は庭の土のけ、女子は家の中の掃除や布団の綿を洗う作業をした。庭には水分を多く含む粘土状の土が三十センチほど積もり、なかなかはかどらなかった。時々、ニワトリの死体や洋服、畳が出てきた。腐りかけて、嫌なにおいがした。午後は流されてきた木や畳をリヤカーに乗せて土手に捨てた。 作業終了と集合の合図があったときは、ホッとした気持ちと同時にもっと作業をしたいと思った。帰り際、地域の人たちが「またきてくれよ」「ごくろうさん」と何度も言ってくれ、心に温かいものを感じた。 帰りは、疲れてぐったりしている人、何か考え込んでいる人それぞれで、みんな口数が少なかった。原体験の悲しみはすぐには言葉にできない。最近、高校生にボランティアをやって社会経験を積んでもらおうという意見が出ているが、まさにそんな体験だった。貴重な体験だったと思っている。
(勝又晴浩=昭36卒)
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