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首長(下)

工業団地造成や図書館整備

 小山町長は長田央(昭21卒)の前二人も御高OBだ。

 高橋春雄(昭13卒、旧姓湯山)は元役場職員。北郷支所長を最後に退職し、昭和五十八年、三期続いた現職を破って初当選した。「天衣無縫な人柄でハンガーを付けたままのコートを着て出掛けたことがあった」「山本敬三郎県知事の信頼が厚く、いつでも顔パスで知事室に入れた」などユニークなエピソードが多い。

 高橋は総合計画基本構想「おやま21世紀プラン」を策定し、工業団地造成や道路整備、東名バスの足柄バス停設置などに尽力したほか、県立小山高を誘致し、「町に高校を」の悲願をかなえた。

 六十二年、高橋が体調を崩した後、町長の座に就いたのは田代和男(昭6卒)。農業をしながら趣味の俳句を楽しもうと、約二十年務めた御殿場農協常務理事を引退していた田代に出馬要請の声が掛かった。「当選時は七十二歳。普通の人なら辞める年に引っ張り出された」と田代は笑う。

 3代連続で町政リード

 平成四年、御高小山分校跡地に町総合文化会館を完成させた。御高時代、学校の図書館に足しげく通った田代は、町内の中学の空き教室を利用していた図書館も会館内に整備した。「ホールや野球場などの利用率も高いが、図書館の利用者増が何よりうれしい。田舎だから、町村だから文化環境が悪いというのはおかしい」と熱を込める。

 総合文化会館は「習い事の発表会をやりたいが、御殿場市まで行って文化会館を借りなければできない」という町民の声がきっかけだった。田代は「施設が散らばっていると利用者が限定され、運営面でも人件費がかさむ」と考え、一体化させた。

 昭和三十四年から一期務めた鈴木繁(大13卒、故人)は御高時代、中学卒業資格取得を求めて元御殿場市教育長・土屋一夫(大13卒、故人)らとストライキを指導したという経歴を持つ。鈴木は京大農学部卒。神奈川県内の高校校長や陸上自衛隊富士学校教官などを歴任した。

 御殿場市では勝又春一(明40卒、故人)が初代市長に就き、助役の根上元恵(大5卒)が支えた。  四十四年から三期十二年市長を務めた鈴木勝巳(大10修了)は、勝間田清一(大14卒、故人)と同期入学。二年で中退し、上京して早稲田工手学校を卒業した後、勝又が経営していた岳南組に入社した。鈴木は小中学校の整備や、温泉ブームに先鞭(せんべん)をつけた温泉会館完成に尽力し、西沢鉄太郎(昭13卒)と佐藤武夫(昭5卒)がそれぞれ助役、収入役としてわきを固めた。  

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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