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「北駿郷土研究会」が活動を停止した昭和三十年代以降も郷土を愛し、研究する御高OBは後を絶たない。 元御殿場市文化財審議会委員長小宮山伊公(昭13卒)は平成二年、自宅に私設資料館を設けた。小宮山家は代々名主を務めた家柄で、元屋敷が秩父宮家の別邸に使われた。小宮山は甲斐武田家ゆかりの品や秩父宮夫妻からの御下賜品など、家にある貴重な史料を整理し、展示した。 小宮山は歴史にそれほど深い関心はなかった。昭和五十八年ごろ、御殿場市史編さんの調査で小宮山家を訪れた編さん委員たちに「せっかくこれだけ史料があるのだから、少しは読めるようにしたら」と勧められた。小宮山は早速、市社協に「古文書解読講座」を開くように頼み込み、第一期の受講生になった。 講座の終了後、仲間たちと「古文書を読む会」を立ち上げた。会の代表を務める小宮山は月に二度、会員二十人余と勉強会を開いている。会は市内の旧家に残る資料を集めた企画展を開いたりし、市内各地区の江戸時代の様子を集大成した「村絵図」を刊行した。小宮山個人も「落武者の史録」「ごてんばの古道」などを記した。現在は深沢城跡整備検討委員会の一員として、郷土遺産の保存、管理に取り組む。
勝間田二郎(昭15卒、故人)は中学教員と神社宮司のかたわら研究を続け、平成十年、米国の通信制総合大学パシフィック・ウエスタン大学の博士号(文学)を取得。「御殿場・小山・裾野 郷土誌」や「御殿場小山の伝説」など、分かりやすい文章と写真や絵を使い、子供から大人まで楽しみながら読める著書を多く残した。「歴史は人が作っていくもの」と、史実の羅列だけではなく、それに関わった人々の生き方も描くことにこだわった。 元御殿場市職員の斉藤泰造(昭27卒)は二十年ほど前に法事で集まった親せきから一族について調べるように勧められた。検地帳や絵図、位牌などを頼りに各家の所有地と分家の様子を調べることから取り掛かった。古文書の注釈の再検証などを行ううちに、一族から村落、郷、東海道へと次第に調査対象が広がっていった。 斉藤は山梨郷土研究会の機関誌「甲斐路」などへの寄稿を経て昭和六十三年、初めての著書「駿河国駿河郡鮎沢庄大堰村覚書 口承と記憶の狭間」を発行した。平成十一年には郷土を通る官道の道筋や駅の位置をつぶさに追った「古代東海道足柄路・甲斐路抄調査書」を出版。通説で御殿場市にあったと言われる「大沼」を沼津市浮島周辺とする大胆な説を発表した。「資料や御殿場の地質を調査して導き出した考え。まだ推測だが、一般的な解釈を外れてみないと分からないこともあるのではないか」と、独自の視点を貫く。 (文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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