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羽田勲(昭13卒、旧姓小林)は平成五年、長年の調査の結果をまとめた「裾野風土記」一巻「地名」を発行した。山居、ウタリ、茶畑など裾野市特有の地名を全国の地名と照らし合わせ、言い伝えや土地柄、地理などから由来を明かした。七年には二巻「伝承」を刊行。第三巻「ほこら」は、年末ごろに完成する予定だ。「調べていくたびに新たな発見があり、疑問もわく。郷土史は奥深い」と羽田は目を輝かせる。手元にある著書には、付せんやメモが次々と付け加えられていく。 羽田は元理科教師で、火山や地震関係を専攻。退職を二、三年後に控えた小学校長時代から「郷土の遺産を発掘し、伝承したい」という思いを強めた。昭和六十二年、裾野市の市史編さん委員になったのをきっかけに郷土史研究にのめり込む。 羽田が深い関心を寄せるのが深良用水だ。河岸浸食を防ぐ意図で段差が作られた長野県佐久郡の用水と比較して「深良用水の段差も計画的に作られた」「山梨県の採掘集団“金山衆”の掘削技術が使われたのでは」と推測し、歴史のなぞ解きに挑む。
小学校長、土肥町教育長を務めた勝呂弘(昭18卒)は文学面からアプローチを図る。昭和四十五年に随筆で県芸術祭賞を受賞し、親友の作家浜野卓也(昭18卒)から「歌を作るばかりでは一文にもならない。本を書かないか」と誘われる。浜野の紹介で始めた県内の民話編集の仕事が縁で郷土史に携わるようになった。 勝呂は古老を訪ねて回り、語り手の個性を生き生きと記した「伊豆の民話集」や、かつては西伊豆唯一の温泉地で多くの文士が滞在した地元土肥町を題材にした「土肥の風土と文学」などを次々と発表した。「伊豆の文学」では、主に小説を取り上げた伊豆文学史が多いなか、伊豆に残る詩歌とゆかりの歌人を網羅。県田方地区文化財保護審議委員等連絡協議会の「伊豆の郷土研究」にも寄稿した。 平成七年、勝呂は自宅に私設文庫「草文舎」を開設した。蔵書は約四千冊で、郷土関係が充実し、地元の人たちも気軽に訪ねる。 教員時代から短歌誌「まひる野」「文芸広場」に入会していた勝呂は今年、初めての歌集「満天星(どうだんつつじ)」を発行した。「『民話を歌の世界へ持ち込めないだろうか』と提唱した歌人がいる。民話執筆中は夢中だったが、これからは郷土の伝承を題材にしたいい歌ができるかも」と意欲をかき立てる。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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