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農業(畜産)

自然の恵みに感謝の念

 昭和三十年代、稲作の副業として酪農、養豚、養鶏、綿羊などの畜産が急速に広まり、戦前盛んだった養蚕に取って代わった。

 杉山忠作(昭20卒)は裾野市の富士山ろくで「忠ちゃん牧場」を経営する。雄大な景色とジンギスカン料理が名物で、六ヘクタールの草地に羊五十頭、牛十一頭を放牧している。冬は羊の繁殖期。今年は十頭が生まれ、すくすくと育っている。


給餌に集まった羊の数を確認する杉山さん=裾野市須山
 畑作農家を継いだものの限界を感じた杉山は昭和三十二年、演習場からの払い下げ地の立ち入り許可を取り、八頭の乳牛で「杉山牧場」を始めた。毎朝搾った牛乳を馬車で須山へ運んで行くと、地区の子供たちが「忠ちゃん馬車が通るよ」と口々に言うので「忠ちゃん牧場」に変えた。

 「どうせなら本場で勉強しよう」と考えた杉山は旧農林省の派遣研修制度に応募した。全国で三人の枠に合格し、三十五年から一年半、デンマークの農家で牛の世話や草刈り、飼料作りなどを体験した。富士山ろくに似た高冷地で酪農を学ぼうと、スイスへも赴いた。

 良質な牛乳生産目指す

 「実用的なノウハウだけでなく、牛を飼う喜びと苦しみ、人々の考え方を知った。今は大企業がつぶれる不景気だが、外国生活で培った気概と自信でやり抜くよ」と杉山の意気込みは高い。


80頭の乳牛を飼育する勝又さん=御殿場市新橋
 勝又国幸(昭28卒)は八十頭の乳牛を飼育し、一日約千リットルを搾乳する。生家は稲作農家。御高農業科卒業後、十年ほど夏野菜を手掛けたが、相場の変動があまりにも大きい。安定した収入を得るため、演習場の草を飼料に使った酪農に切り替えた。当時の牛は値が高く、雌の子牛が生まれると家で赤飯を炊いて祝った。

 搾った生乳は、近隣の酪農家たちが生産した生乳と一緒にして業者に納める。責任を明確にするため、混ぜる前に各農家の生乳のサンプルを取って成分表を出す。勝又ら生産者は互いに連絡を密にして情報交換し、良質な生乳生産を目指している。勝又は「子孫を残すために出す乳を横取りし、乳の出ない牛をつぶすのだから、生活のためとはいえ感謝の念で自然に手が合わさる。消費者の皆さんにも、自然の恵みと多くの命によって人間が生かされていることを考えてほしい」と話す。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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