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戦後復興期の昭和二十四年春、東京の都心・銀座で都電八台が数珠つなぎになった。騒ぎの中心は自転車に乗った十八歳の青年。電車を避けようとして転倒し、荷台に積んでいたちくわやさつま揚げなどの練り製品約五十キロが路上に散乱したからだ。駆け付けた警官や通行人、都電の運転手と乗客までもが電車を降りて手伝い、なんとか荷を拾い集めた。 都内を中心に埼玉、千葉に二十四店舗を展開する中堅スーパー「三徳」副会長江藤数敏(昭24卒)の、入社直後のエピソードだ。新宿の店から築地市場まで毎日、自転車で加工食品の買い付けに行っていた江藤は、「一番きつかったのが国会議事堂の登り道。足を止めると積み荷の重みで前輪が浮くので、重いペダルを休まずこいだ」と思い返す。 三徳は昭和二十四年四月、御殿場市出身の堀内貞良(初代社長、故人)、寛二(二代社長)、高(元常務)の三兄弟が創業した。 開店を間近に控え、堀内兄弟は「事業成功のため、まじめな従業員を育てたい」と考えていた。堀内兄弟の生家は御高に程近い。素直で態度のいい生徒たちを日ごろから高く評価していた寛二は、新卒者に白羽の矢を立てた。「小さい店で出発するが大きくなって日本一になる」という寛二の熱意にひかれて江藤と大森祐聿(昭24卒、前副会長)が入社。店で堀内兄弟と寝食をともにしながら安くて新鮮な商品を豊富に取りそろえ、徹底した接客サービスを行った。
二十五年以降も柏木忠雄(昭25卒)、竹島金義(同)、平田正明(同)、福井千代治(昭26卒)、土屋綱雄(昭27卒)、石田昭夫(昭29卒)、室伏高信(昭32卒)らが続々と入社。元社会党委員長勝間田清一(大14卒、故人)は三十一年まで役員に名を連ね、三代目社長石田寿治(昭15卒、故人)は約二百三十社三千店が加盟する日本最大の共同仕入れ機構「CGCジャパン」の社長も務めた。堀内貞良の妻晴世(昭5卒)は、堀内が御殿場市内に建立した富士仏舎利塔の護持会会長。 御高出身者は多いときは百二十人を超えた。親睦(ぼく)会を結成する話も持ち上がったが、ほかの地方出身者を気遣って作らなかった。江藤と大森は平成八年、勉強会を始めた。「経費節減の基本」「新聞の見方」などさまざまなテーマで講義を行い、御高出身者ら多くの聴講生を集めた。 堀内勲(昭28卒、旧姓勝亦)は現会長。初代社長の仏教精神を受け継ぎ、「人間味のあるサービス」と「安全でおいしい商品の提供」を目指す。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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