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首都圏で活躍する御高出身者は多い。 長田富夫(昭27卒)はイトーキ元常務取締役。御高商業科時代は休みのたびに東京へ行き、宝塚や歌劇、演劇に夢中になった。卒業後は親類を頼って上京し、代議士の秘書をして大学の学費を稼いだ。「陳情に応対したり、かばん持ちで付いていった国会や議員会館で政治家たちに会い、物おじしなくなった」と貴重な経験を積む。 長田は、イトーキがスチール家具を初めて手掛けた昭和三十二年に入社。書類を整理するキャビネットを持って営業に回り、事務の能率を上げるファイリングシステムを売り込んだ。「若かったが自分の責任でやらせてもらい、やればやるだけ成果が出た」。 新宿支店長、設備機器部長、建材部長などを歴任した長田は、大手企業や官公庁だけでなく、サンシャインビルや茨城県つくば市の研究施設、病院、工場にいたるまでそれぞれの要望に合ったオフィス環境を提供した。地元では沼津市役所のファイリングシステム導入が思い出深い仕事の一つ。平成三年からは人事を担当し、技術系の採用と女子の総合職に力を入れた。
機工、建設部門を併せ持つ運送会社山九顧問の高橋誠治(昭28卒)は普通科卒。案内パンフレットの「額に汗して働く」「男子一生を託すにふさわしい職場」の言葉にひかれて昭和三十三年、八幡製鉄(現・新日鉄)に入社した。十年間で鉄の生産が十倍に伸びた高度経済成長期に販売管理畑を歩んだ。平成元年に新日鉄取締役。 平成五年、東芝鋼管副社長になり、多摩鋼管の吸収合併を進めた。両社とも伝統があり、システムや慣例も違う。新会社日鉄鋼管の初代社長に就いた高橋は、「苦労した半面、古いものを一度壊して新しいものを作り出す『創造的破壊』はやりがいがあった」と振り返る。 社長就任時、御高の同窓生が三十人ほど集まって祝賀の席を設けた。御高でESS部だった高橋に、同窓生たちは「コングラッチュレーション」と英語で祝福し、首にレイをかけた。高橋は「いろんなところで就任祝いをしてもらったが、この会が一番うれしかった」と相好を崩す。 現在、家裁の家事調停員も務める高橋は「数字を出して管理するこれまでの仕事とは違い、情緒的で非論理的な問題の解決を求められる」と意欲をかき立てる。 日英貿易社長高橋英正(昭16卒)、おもちゃの開発や卸売りなどを手掛ける丸越社長越川昌之(昭28卒)らがビジネスの世界で奮闘している。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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