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県立榛原高校(榛原郡榛原町静波)が七月に創立百周年を迎える。現在、文武両道の伝統校として郡内教育に大きく貢献する同校だが、ここまでの道のりは必ずしも平坦ではなかった。一世紀前、同校の基礎をつくるため、奔走した先覚者に対しては無理解から周囲の目は冷たく、戦時下は教育そのものが成り立たなくなった。そのたび、先人たちは努力を重ね、苦難を乗り越えてきた。同校の軌跡と人物像をたどる「榛の木群像―榛原高校百年」を連載し、高校教育の在るべき姿を探りたい。
だが、賛同者は少なく、変革に消極的だった住民からは、狂気の沙汰(さた)と嘲笑(ちょうしょう)さえ受けたという。しかし、困難を前にしても教育への情熱は衰えず、浅井は熱心な説得を続け、多くの同意者を得るまでにこぎ着けた。同校開学のかぎは熱烈な郷土愛だった。 もう一つの原点は昭和の初めから取り組んだ勤労教育。当時、榛高は旧制の県立榛原中学。自由な校風に満ちていたが、旧制高校への受験校の色彩が強くなっていた。校長に赴任した小田原勇(一八八三―一九七四年)は「予備校化し、詰め込み、画一主義の誤った教育が行われている」と指摘し、「全人教育を目指す。その手段として勤労教育を進めて訓育、鍛錬を行う」と提言した。生徒たちは勉学に加えて田畑の開墾、道路や河川の整備に取り組んだ。午後の時間帯すべてを作業に当てる日を設けるなど勤労教育は徹底していた。教師は率先垂範(そっせんすいはん)を強く求められた。
「進学のためにならない」との批判も多かったが、勤労教育は推進され、生徒たちに浸透、全国的にも知れ渡った。勤労教育を経験した卒業生は「困難にぶつかった時も耐えていけるとの気持ちや真剣に物事に当たるという精神が養われた」と振り返る。時代のすう勢とともに教育の均質化が進み、榛原高校で勤労教育が前面に押し出されることはなくなった。だが、人格形成に役立つ勤労教育は受験勉強の弊害に苦しむ現代の高校教育を見直す一つのヒントとも言え、その精神を大切にすることが必要だ。 同校同窓会の鎌田勝会長(榛中・昭18卒)は「今の高校教育は人間的に何を学んだかが不足しているようだ。ひたむきさ、働くことの大切さを知る教育を考えるのも必要」と指摘した。 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。
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