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〜卒業生は今〜 大石 千世さん(書道家)

現代書に新たな世界展開

 美術としての書を追求する象書(しょうしょ)の実力者。アトリエで広げてくれた作品は「移」。文字は知人が贈ってくれた和歌から引用した。薄墨のにじみと力強い筆の運びが織りなす文字からは、移ろう世の中で信念を貫く作者の確固たる姿勢が伝わる。榛原高校時代は書道部。静岡大学で書道に没頭した。中学校教師も務めたが、書の神髄に触れたいと退職し、以後、書道一筋。母校にも「火山」「志あれば成る」などの作品が掲げられている。

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象書の新たな地平を切り開こうとする大石さん=静岡市内
 「仕事柄、ふるさとでの原体験が抜き差しならないほど大きくかかわっている。母校もその一つ。自分の人生を決定付けた級友や先生、先輩と出会ったのも母校。出会いの駅でもあった。ふるさとの人たち、母校は大きな財産。付き合いを大事にしたい」

 中学校時代、習字の教科書に載っていた手島右卿(一九〇一―一九八七年)の書に衝撃を受けた。それが書に夢中になる下地になった。

 「書で、こんなに面白い表現ができるのかと驚いた。それからは、どうしたら、こういう書が表現できるのかと、描ける人を探し続けた。出会いは大学二年の時。山崎大抱さん(一九〇八―一九九一年)が探していた人だと直感した。今までに会ったことがない、たぐいまれな芸術家で、教えを受けたいと入門した」


書の面白さ、神髄追究


 手島は象書の提唱者。山崎はその一番弟子。日本現代書の開拓者二人の理念を継承することになった。
 「先生方が開いた道を引き継ぐだけでも大変だが、新しい時代を生きるために自分の一歩を踏み出したいと思っている。現代書とは何なのかをつかみ直し、前に出ることになるが、その踏み出し方が今は、はっきりせず、足踏みをしている状態。方法はこれまでの積み重ねから出てくると思う。足腰を鍛え、自力で歩みたい」
 直面する壁が大きなだけに、人生の原点となったふるさとの思い出が鮮明に蘇る。

 「実家は農家で小学生のころの役目は鶏舎から卵を取ってくることだった。一度、怖いから嫌と父に言ったことがあった。父は怖いのではない、仕事が嫌なのだろうと返答した。見透かされたと思った。仕事をする気力があれば、怖いとは言わないでしょ。この時、ごまかすのではなく、正面を見据えて生き抜かないと駄目だと痛感した」
 書という創造の世界は深く、それだけに魅力にあふれる。  「怖いとか、できないとか言って逃げたりはしない。あきらめないで、新たな時代を切り開くために進む」

<略歴>=おおいし・ちせ  榛原高校を昭和三十六年に卒業。静大教育学部を経て、静岡雙葉学園数学科教師となる。日展に入選したのをはじめ日本書道大賞新人賞、富嶽文化賞展奨励賞などを受賞。海外展も数多い。東京芸大美術部の講師も務めた。独立書人団と毎日書展の審査会員。抱一会副理事長。五十七歳。静岡市在住。吉田町出身。


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