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昭和十二年七月、県立榛原中学校に造られた木造二階建て図書館は中学校としては珍しい独立した図書館であったことと洋館風のしゃれた造りのため、周囲から注目を浴びた。解体された四十三年七月までの三十一年間、榛中、同中を母体に誕生した県立榛原第一、榛原高校の生徒たちが読書を楽しみ、学校自慢の一つにした。
昭和二十五年度学校一覧によると、図書館の二階は英語、数学、文学、社会科学の各研究室。閲覧室は一階で五十人近くが一度に入れる広さがあった。その後、二階も閲覧用になり、生徒たちの利用がさらに盛んになった。クラシックのレコードコンサートも行われたという。 図書館では読書や学習以外にロマンチックな出会いもあった。「図書館報」にこんな寄稿がある。「一人で図書館の学習室で景色を眺めている時、Sさんが部屋に入ってきた。『俺…恋人が欲しいような気がする』。私は言ってから、後悔するような気持ちが胸の中にうごめいていた。『いいわね。でもどういう人がいいの』。『俺…Sさんみたいな人がいいんだけど』」。初恋の告白の場にもなったようだ。 生徒に親しまれ、活用される図書館になった陰には親たちの切ない願いがあった。「創立八十周年記念榛原高校校誌」によると、四十六年春、吉田町内で、榛高生二人が乗ったオートバイが道路を飛び出してコンクリート製門柱に激突し、頭を強打した二人が即死した。運転免許試験に合格した直後、オートバイも前日、買ったばかりで起きた事故だった。
息子を失った遺族は「母校の役に立つことが最良の道」と百万円を榛原高校に寄付し、同校は寄付金で図書館に文庫を設けた。蔵書は文学、自然科学、芸術分野など九百七十七冊に及び、同校の校章になっている「榛(はん)の木」から「榛の木文庫」と名付けた。半年後にもバイク事故で榛高生が死亡し、両親は同文庫に寄付をした。 卒業生の支援も大きかった。TDK元会長の山崎貞一(榛中・昭2年卒)の寄付による山崎文庫、武田哲次(榛中・昭10年卒)の寄贈本の武田文庫、大橋太郎(榛中・昭10年卒)の大橋文庫も相次いで設立され、生徒たちの読書欲を満たした。 学校側も推薦図書をそろえたり、校内読書感想文コンクールを行うなど読書指導に余念がなかった。青少年読書感想文全国コンクールで文部大臣奨励賞を得た小山信彦(榛高・昭46年卒)は「図書は充実していたし、授業も岩波文庫を使ったりして毎日、面白かった。生徒にものごとを考えさせてくれる授業だった」と振り返った。今、同校図書館の蔵書は三万三千九百九冊。生徒一人当たりの年間貸し出し数は二・八冊という。 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。敬称略。 |
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