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 籠球部

提灯飾り神宮出場祝う

 戦川崎町(現・榛原町)の秋葉山ろくに移転した榛原高等女学校は昭和二年春、県立学校として新たなスタートを切った。当初、校舎一棟だけだったが、講堂や第二校舎が相次いで完成し、二年後には施設の充実を祝う校舎落成式も開かれた。教育も内容濃く行われ、発足から二十数年たった同校は発展期を迎えた。

▼生徒自らコート造り

 県立になったばかりの同校は、予算も十分ではなく、施設整備は生徒の力に頼る部分が多かった。辻きよふ(榛高女・昭6年卒)がその様子を創立八十周年記念榛原高校校誌に寄せている。「一番思い出に残っているのは、何といっても作業のことです。放課後や体操の時間はほとんど作業にあてられ、秋葉山の土を崩しては校庭に運ぶのが毎日の仕事でした。つるはしで山を崩していると水が流れ出して靴もずぶずぶになることもありました。二人で一つのショミに土を入れて校庭まで運び、夕日を背に受けながら、何回も往復しました。土は運動場にまかれ、整地されていきました」。生徒たちが整地した場所に講堂や校舎が建てられた。バスケットボールやバレーボールのコートも造られた。そして、生徒らが汗水垂らして造ったコートから優秀なバスケットボールチームが誕生した。

▼変電所の灯りで夜練

 昭和四年九月に静岡高等女学校で開催された明治神宮大会県大会。榛原高女籠球(バスケットボール)部は強豪チームを向こうに回し、快進撃を続けていた。古参チームを二点差で振り切るなど調子は上々、とうとう決勝にまで駒を進めた。年長者チームの女子師範には屈したものの、準優勝し、神宮大会への出場権を見事獲得した。

 地元は大喜び。学校周辺には提灯が飾られ、講堂では生徒、教師らが籠球部を囲み、祝賀会を盛大に開いた。優秀な成績を挙げた裏には、熱心な練習があった。佐藤しま(榛高女・昭8年卒)は、その一端を記している。「夏休みの合宿練習では近くの変電所の灯(あか)りをたよりに連日連夜、練習に練習を重ねる。夜十一時ごろまでバックシュート、ロングシュートの練習。一人で芝生の上で何度涙を流したことか」(「同校誌」)。

 「榛原高校百年誌」(近く発行)資料によると、籠球部は十月下旬、明治神宮大会に出場した。前日の降雨で、会場が屋外コートから体育館に代わった。1回戦は不戦勝だったようで、2回戦で東京府立第二高女と対戦した。しかし、8対12で敗れた。佐塚かつ(榛高女・昭6年卒)は「それまで土の上でしか、やったことがなく、屋内は勝手が違った。バウンドの調子も違い、ドリブルも狂った」と記憶をたどった。

 籠球部にとって全国大会での経験は大きく、その後も好成績を残した。五年には極東オリンピック大会中部地区予選に出場し、東海女子中学校籠球大会では優勝を果たした。佐藤は、こうつづっている。「クラブ活動によって強い自信がついた様に思う。人生には苦しい事、悲しい事がたくさんあるが、がまんする所はがまんし、おさえる所はじっとおさえ、また、積極的に進んでゆく所はまっしぐらに走ることが大切。過ぎ去った人生を振り返る時、クラブ活動が私には一番役立った様に思う」(「同校誌」)

 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。敬称略。  


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