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昭和二十五年の晩秋。静岡市内の静岡大学講堂に熱気にあふれた声が飛び交っていた。県内の二十数高校が参加した県下高校討論会だった。最終の決勝戦の壇上に榛原高校の生徒たちの姿があった。「第三次世界大戦は起こるか、否か」をテーマに始まった決勝の論戦は次第に熱を帯びた。「否」の立場をとった榛高のメンバー、原桂一郎(昭26年卒)が締めくくるように語った。「私たちは人類の善意を信ずる」。戦後の人々の思いが凝縮されたこの言葉は来場者の心に響いたという。榛高は討論会で優勝を果たした。
テーマは事前に知らされ、それに沿って簡単な打ち合わせはしたが、それ以外は練習らしい練習はしなかった。大会当日、同行した教師の竹中玄鼎(榛中・昭13年卒)から秘策を授かった。「質問や主張は手短に要領よくやって、持ち時間を残しておけ。相手にはよくしゃべらせて時間を使わせてしまえ。そして最後の弁論をとうとうとやれ」 作戦は見事的中。榛高は次々と対戦相手を論破し、頂点に登り詰めた。会場で応援していた松尾(旧姓・榑林)恵美子(昭26年卒)は決勝の様子を鮮明に記憶している。「原さんの言葉が印象的で、今でも思い出す。優勝が決まった時はみんなで握手して喜んだ」 討論会で優勝できたのは戦術がよかっただけではなかった。生徒たちの知識が豊富で、柔軟な受け答えができたからだ。面々は授業のほかに、新聞、雑誌を含めさまざまな図書を実によく読んだ。それも自然科学から人文科学まで幅広い分野に目を通した。図書館には入り浸りの状態で、水野は「月に二十、二十五冊の新書を読んだとメモに残っている」と話す。仲間同士の議論も活発で、その時々の社会問題についてよく話し合っていた(島野)。
授業自体の質も高かった。「万葉集を教材にした授業があり、旧帝大の学生と同程度の試験も出された。ハイレベルな先生方がいて、校内はアカデミックだった」(島野)、「先生も生徒も旧制高校のような感じがした」(水野)。高質な授業が生徒の質を押し上げたことがうかがえる。 県下高校討論会での優勝がきっかけとなって、榛高で同じ形式の校内討論会が始まった。出場経験のある同高教諭中村肇(昭40年卒)は語った。「討論では自分の主張を明確に伝え、相手の反論をしっかりつかむことが必要。論理的な考え方、物の見方を学ぶのに大いに役立った」。しかし、校内討論会は昭和四十年代、生徒たちの希望で廃止された。 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。敬称略。 |
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