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榛原高校が発足して二年後の昭和二十六年、愛誦歌(あいしょうか)「七彩(しちさい)燃ゆる」がつくられ、校歌のなかった同校で校歌の代わりに歌われるようになった。作詞小山一重、作曲山本不二彦。二人とも同校の教諭だった。
愛誦歌は、同校のそうした特徴を踏まえて、男子生徒、女子生徒がともに口ずさめるように配慮された。歌詞を見ると、その工夫がよく分かる。「芙蓉(ふよう)に懸る朝雲を雄飛の翼の文として心きたへむ男の子(をのこ)われ」とうたわれた一番は男子向きで、「理想の夢の蘂(ずい)ふかく汚濁の世をばよそに見て心みがかむ女子(をみな)われ」とつくられた二番は女子向き。そして三番は「自然の調たゝえつゝ心たかめむ若人われ」と男女が一緒に歌える詞だ。 川内によると、実際、男子が一番、女子が二番、全員で三番を歌ったという。真理を求めて心を磨こうと訴えた詞の内容も次代を担う若者たちにぴったり。「榛原高校百年史」(十一月発行予定)によると、愛誦歌は三十年、ラジオ静岡の番組「音楽高校めぐり」で放送された。作曲家の坂田吉伸(昭31年卒)は「品があり、胸を張って堂々と歌える愛誦歌だった」と振り返った。四十一年に現在の校歌ができるまで、愛誦歌は入学式や卒業式などさまざまな行事で歌い継がれた。校歌としても立派に通用する歌だったが、校歌にはならなかった。川内は「つくられたお二人の先生方に遠慮があり、周囲もその気持ちを察して校歌にしなかったのだと推測できる」と語った。
そして、三十二年、もう一つの愛誦歌が生まれた。定時制の歌「みんなみの」だ。作詞は川内、作曲は定時制生徒会長だった石神齊(昭33年卒)。「定時制の校歌が欲しい」との声が生徒から上がり、制作に踏み切ったという。「みんなみ」は南の方言。「みんなみの海より寄する夕潮の遠鳴りか」で始まる歌からは、南方向の駿河湾に夕方満ちる潮のように夕方から一生懸命に学ぶ定時制生徒たちの心意気がひしひしと伝わる。 石神は振り返る。「ハーモニカで音取りをしながら、つくった。作曲を勉強したことはなく、だれでも歌えるようにと心掛けた」。手づくりの二つの愛誦歌は青春の思い出とともに卒業生たちの胸に深く刻み込まれている。石神は言う。「向学心に燃えた年配の方々の姿が今でも思い浮かぶ」 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。敬称略。 |
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