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昭和四十二年夏、福井県で開かれた全国高校総体陸上女子一〇〇メートルの決勝。榛原高校三年、陸上競技部の松浦(現姓・柚木)月子(昭43年卒)は順調にスタートし、ぐんぐんと加速した。スピードに乗った松浦は他の選手を振り切り、トップでテープを切った。12秒3の好記録だった。
トップランナーに想像以上の重圧がかかっていたことがうかがわれるが、松浦には、プレッシャーをはじき返すだけの精神的な強さがあった。松浦の話の中にそれを垣間見ることができる。松浦は一〇〇メートルに先だって行われた二〇〇メートルにも出場し、こちらも25秒1で優勝していた。「どちらかというと一〇〇の方が好きだった。自信のない二〇〇に勝った時、一〇〇はいただきだと感じた」 大会ではほかの部員も気を吐いた。松浦(現姓・別役)秀子(昭43年卒)が八〇メートルハードルで三位に食い込み、女子リレーも五位に入った。その結果、女子は学校対抗トラックの部で優勝、総合でも準優勝に輝いた(「90年の歩み―榛中・榛女・榛高―」)。それまで榛原高校の知名度はあまり高くなく、間違って「ぼうばら」などと呼ばれた悔しさもあっただけに、部員たちは「母校の名を知らしめた」と感無量だったという。
陸上競技部の快挙に地元も大いに沸いた。生徒、住民は当時の駿遠線の静波駅で帰郷した部員らを出迎え、大歓迎した。学校までパレードが行われ、体育館では祝賀会も開かれた。その年の国体でも松浦月子は二〇〇メートルで優勝し、松浦秀子も八〇メートルハードルで二位に入る活躍を見せた(「同歩み」)。 強さの秘密は何だったのか。松浦月子は言う。「先輩たちが着実に築き上げた土台があったことと、それに顧問をはじめ先生方、生徒の皆さんの支えがあったからこそ、頑張ることができた」。事実、同部の歴史は古い。「創立八十周年記念榛原高校校誌」によると、同部のあけぼのは旧制中学校時代の大正期。以降、さまざまな人たちが熱心に練習を行い、各種大会で数々の足跡を残した。松浦の一年先輩の岡村均(昭42年卒)も昭和四十一年、青森県で開かれた高校総体の二百メートルで二位、四百メートルで三位に輝いている。 指導者の尽力も見逃せない。二十七年から四十五年まで同校教諭で同部の顧問を続けた鈴木誠司は練習場の狭さを補うため、近くの町営グラウンドの草地、学校周辺の砂浜、山もトレーニングに使った。コースの十五メートル地点に毛糸を張りスタートダッシュの能力を高めるなど効果的な練習方法も編みだした。そして勉強に常に配慮した。部員たちは大会遠征中も教科書を持ち、学習を忘れなかった。今、健康・生きがいづくりアドバイザーの鈴木は「生徒たちが運動と学問を両立できるようにといつも考えていた」と話した。 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。敬称略。 |
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