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 頭髪と制帽

生徒の要求で規則緩和

 かつて男子高校生といえば、丸刈りの頭に制帽をかぶり、詰め襟の学生服を着込むのが定番だった。今はぐっとフランクで、長髪で無帽が普通だ。学生服は現在も健在だが、中にはボタンを外したり、内側のシャツをすそから出すなどだらしない姿の高校生も見受けられる。榛原高校の男子生徒も以前は丸刈りで制帽をかぶっていた。いつごろから、規則が緩和されたのか。

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昭和40年代まであった榛原高校の木造校舎。同年代、頭髪、制帽の着用が自由になった(「90年の歩み―榛中・榛女・榛高」より)

 二十年前の昭和五十五年に発行された「創立八十周年記念榛原高校校誌」が頭髪と制帽の問題に触れている。それによると、戦後数年たって、全国的に生徒自治会の決定、あるいは学校側と生徒側との合意によって、それまで丸刈りだった生徒たちが頭髪を伸ばし始めた。アメリカの思考、文化の流入が大きく影響したとみられる。戦後間もなく、榛原中学で、榛原第一高校の時かもしれないが、頭髪を議題とした生徒総会が開かれ、「五分刈りの頭髪で風邪をひいた。だから五厘の丸刈りにしたら死んでしまう」「われわれは学生だから、外見や服装はどうでもよい。要は中身の問題だ」などさまざまな意見が交わされたという。結果は現状維持で、その後、榛原高校に替わってからも生徒たちは丸刈りを守り続けた。

 昭和三十年ごろ、三年生だけは二学期から長髪にしてもよいことになった。就職活動などを考慮したためだった。だが、一、二年生の長髪は認められず、「二年生の長髪も認めよ」との生徒総会での要求も却下された(「同校誌」)。しかし、四十年代に入り、問題が起きた。

▼エレキブームで異変

長髪の三年生が、登校、外出時は制帽を着用するとの規定に反し、帽子をかぶらなくなったのだ。十一月発行予定の「榛原高校百年史」にその理由がこう記されている。「若者を中心にエレキブームが起こり、グループサウンズが華やかにテレビの中で演奏していた。その彼らが一様に長髪だったのを、見逃すはずがない。規定通りに三年生の二学期以降を守ったとしても、わざわざ苦心して整えた髪形を帽子をかぶることによって乱されるのを潔しとしないのは納得できることである。校門近くでやおら帽子をかぶるという行為が普通であった」

 学校側だけでなく、生徒会側もこれには困ったらしい。当時、生徒会の風紀委員長だった柴田哲雄(昭44年卒)は振り返る。「長髪希望、帽子の廃止を求める声があり、それを実現するためには、まずルールを守り、帽子をかぶることが必要だと呼び掛けた。生徒会としては生徒の要求を通すために、一方に憎まれ役を置きバランスを取ったのだと思う」

 そして、四十四年、長髪が許可された。間もなく制帽も着用しなくてもよくなった。

▼修学旅行も私服に

 さらに、同校では規則の緩和が続いた。「同百年史」によると、創立九十周年の平成二年、それまで制服か体操着だった遠足の服装が生徒たちの裁量に任された。翌年には校則を改正し、細かな規制を除外し、平成六年、修学旅行の服装も生徒たちの自主判断に任せた。同百年史に生徒の感想が掲載されている。「出発の朝、駅でいくつかの高校と一緒になったが、自分たちだけが私服であることを知って、信頼されていることに誇りを持った」。だが、今年の修学旅行は制服だという。自由をはきちがえ、節度を守れない服装の生徒が現れたからだ。

 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。敬称略。  


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