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昭和二十四年、男子校の榛原第一、女子校の榛原第二の両高校が統合して生まれた榛原高校の大きな特徴は総合制にあった。普通科のほかに家庭科、農業科、さらに定時制が設けられ、生徒数約千人の一大教育拠点ができあがった。だが、大学進学率の増加とともに、農業科が廃止され、一般的な普通高校の色彩が強まった。そんな中で個性を発揮したのが女子生徒だけの家庭科だった。
建物だけでなく、備品にも事欠いた。調理実習に必要な食器もわずかで、被服用の用具も不足していた。創立と同時に家庭科の教壇に立った三輪かつゑ(榛高女・昭4年卒)は振り返った。「とにかく道具が少なかった。県費だけではまかなえないので、学校でバザーを行い、道具類をそろえるお金をつくった」
余談だが、三輪には家庭科ばかりでなく、男子生徒にまつわるほろ苦い思い出もある。「入り口に黒板拭きを挟んで、落ちるようにしたり、丸めた紙を黒板に投げ付けたりと男子生徒のいたずらが過ぎるので、一週間ほどそのクラスに行かなかった。そうしたら、代表が『かんべんしてください』と自宅に謝りに来ましたよ」
勉強へのひたむきな取り組みと、はじけるような笑い声に包まれた家庭科だったが、進学競争の激化に伴って四十九年三月、二十五年間の幕を閉じた。最後の卒業生の中の岸端記子、高橋(旧姓・野中)雪名、榛地(旧姓・大石)れい子、仁藤喜代子、福世(旧姓・久保田)茂子らは時々、会って旧交を温める。話は尽きないが、「学校で学んだことが、今も役に立っている」と異口同音に語る。習得した和裁、洋裁、編み物すべてが生活、仕事面で活用できているという。 榛地は授業で配られた、服の作り方などを図解したプリントを大切に保管している。「私の大事な宝物」と榛地は言う。そして面々は恩師の水嶋倭文(榛高女・昭9年卒)の熱心な授業に思いをはせた。「今思うと先生は私たちが卒業してからも困らないようにと親身になって教えてくれた」 【注】敬称略。 |
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