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榛原高校近くの龍眼山山頂に、富士山や大井川を一望することができる展望台「仰秀の丘」がある。美しい自然の中で、英気を養い有意義な学校生活を送ってほしいと昭和五十七年、同校が建設した。「秀麗富士に理想を仰ぎ 悠久大井の語るを聴かん」で始まる校歌にぴったりの眺望であることから、歌詞の字句を取り、「仰秀」と名付けた。
詩は丘のわきの石碑に刻まれ、今でも見ることができる。「創造の道を歩いて 今、望洋のおかに立ち 思いをめぐらせば 入学式は思いでの ポケットの中に 星のようにあり 今、卒業の時を迎えて 至誠の像に涙する 残した足跡を確かめ 今、仰秀の丘の 誕生を祝う わが青春は 榛原高校にあり わが青春は 友との語らいにあり」とうたった詩は榛高生の気持ちを象徴するかのようだ。当時、校長の鎌田勝(榛中・昭18年卒)は「仰秀の丘、それに榛高生にぴったりの詩だった。すごい感性を持った生徒がいると、みんなでほめた」と振り返った。 山頂の「仰秀の丘」まではそれぞれ、道沿いに自生する植物名から「梔(くちなし)」「馬酔木(あせび)」「千両(せんりょう)」「小羊歯(こしだ)」と名付けられた四本の散策路が造られている。適度なこう配がついた道で、樹木の間をめぐれば、心地よい汗が額をぬらす。登り切ったところで目にする富士山の景観は、また格別だ。
絶好の散歩道となっているこれらの山道には、榛高生、教師たちの深い思い出も詰まっている。鎌田によると、当時、生徒、教師たちが夏休み中のホームルーム作業や部活動の一環として、山肌を削ったり、松くい虫で枯れた松で階段を造ったりして、三年がかりで道を整備した。うち二本の道は、中腹の「榛の木会館」の管理人小池せきの夫次郎が開拓した。無報酬で黙々と切り開く姿を鎌田は感謝の念を込めて榛高新聞にこう寄稿している。「一人で背丈もあるようなシダを刈り、木の根で固くしまった土を掘り起こしながら一日に一、二メートルというように拓いたもので、教員が『昭和の青の洞門のようだ』と、その努力を讃えた。他人のために汗を出し、涙を流せる人になれという、無言の教えが響いてくるようである」。 「仰秀の丘」と対をなして、北西側には「望洋の丘」があり、そこからは駿河湾を眺望でき、竜眼山一帯は現在、憩いの場にもなっている。 バレーボール部員で、合宿中、部員たちと「仰秀の丘」を散歩がてらに歩いた杉山は「子どもが大きくなったら、今度は家族で訪れてみたい」と懐かしんだ。 【注】敬称略。 |
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