<43>

野球部(中)

早大・三原が神髄伝える

 負け試合が続き、小田原勇校長から対外試合を禁止された榛原中学校野球部は、教室での立てこもりまでして、やっと禁止措置を解くことができた。だが、試合成績はその後も振るわなかった。「創立八十周年記念榛原高校校誌」によると、二年ぶりに出場した昭和六年の全国中学校野球大会県予選は初戦で韮山を15―3で下したものの、二回戦の沼津戦は1―12で大敗した。沈滞した雰囲気が再び漂った時、早稲田大学の花形選手三原脩が同校にコーチとして現れた。

haibara
バットを手に「三原さんの指導は理論的だった」と振り返る中村さん=吉田町の自宅

 
▼「止まった瞬間」に打て

 同校誌がいきさつに触れている。「この敗戦(県予選)を見た小田原校長は母校早稲田大学からコーチを招くことを決意され、この年の秋、当時まだ早大現役選手であった三原脩氏が指導に来校した」。野球部の実情を見るに見かねた小田原が、出身校に応援を求めた様子がうかがわれる。小田原の窮余の策は部員たちに大きな刺激を与えた。

 当時、五年生だった中村誠(榛中・昭7年卒)は三原の鮮烈な印象を今でも思い出す。「ユニホーム姿で現れた三原さんは『きょうからみんなと一緒に練習します。練習するなら強くなりましょう』とあいさつし、その後、いきなり、『打撃は、走ってくるボールを打つのか、それとも止まったボールを打つのか』と質問した。僕らは面食らった」。答えが分からず、戸惑う部員たちに三原は、投げたボールの高速度写真を見せ、「ボールは刻々と止まっている。止まった瞬間に打つんだよ」と説明したという。

 中村は言う。「センスが違った。虚を突かれた。その時から榛中野球部の理念が変わった」。漫然とした練習を嫌った三原は野球の神髄を合理的、理論的に教えた。バットには二つのモーメントがあり、二つ目のモーメントを生かして打てば、ボールがよく飛ぶことや、相手選手の捕球動作を見てスライディングすることなど榛中野球部にとって新鮮な内容ばかりだった。

▼甲神静大会へ進出

 七年の県予選。野球部はうって変わった試合運びを見せた。同校誌によると、一回戦で浜松商業を12―0で破り、二回戦の庵原戦も10―0で大勝した。静岡商業と対戦した準決勝は14―3で負けたが、上位四チームに食い込み、甲子園に直結する甲神静大会への出場権を得た。野球部始まって以来の快挙で、関辰雄(榛中・昭8年卒)は「榛原高校野球部史」に「主将として思わぬ幸せ」と寄せている。

 甲神静大会は一回戦、強豪の横浜三中と当たった。万年一雄(榛中・昭9年卒)が力投したが、力及ばず16―9で敗れた。だが、この年の活躍は、榛中野球部の大きな自信となった。  同野球部史に三原が野球部に当てた手紙の内容が記載されている。野球部長だった宮原真吉が「(榛中)校友会雑誌・第十九号」に寄稿した文章だ。「運動する事は勉強する事の助けであって、勉強が運動の助けではない。いくら運動競技にすぐれても其の人が頭に於てかけていれば、即ち言ひ換えると其の人が人格的に零の人間であるならば、反って自分の長所である運動の為に自滅しなければならなくなります。諸君も此の点を充分考えてグランドを人格修練の場として一意専心健闘してもらいたいのです」。三原の言葉は重い。

 【注】敬称略。  


掛中・掛西百年史 御殿場高 躍進の百年  静岡新聞へ