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人物編・教育

同級コンビで入試改革

 次世代を担う子供たちの育成のため、教員の道を選んだ卒業生も多い。学校教育や教育行政の現場で、大勢の同窓生が県教育界をリードしてきた

河村浩(榛中・昭8年卒)は静岡東、島田商、静岡商で校長を務め、県教育研修所長を最後に退職。「全国の教育界のリーダーシップを取っているという誇りを持ち、議論を交わしながら宿泊研修を行っていた」と当時の研修所を振り返る。英語教育に情熱を傾けた三浦朝治(榛中・昭9年卒)は、吉原、三島南、清水西、掛川西、静岡高と校長を歴任し、県高校長協会理事長も務めた。退職後は藤枝市教育長として教育行政に手腕を奮った。

 高校時代に机を並べた石田徳行(昭26年卒)と赤塚照一(同)は平成二年から三年間、コンビを組んで学校教育現場のかじ取りを行った。静岡高校長の石田が県高校長協会長、静岡市・城内中校長の赤塚は県校長会長に同時に就任し、内申書や面接の重視や、考える力を養う試験問題への変更など、高校入試の制度改革に道筋を付けた。「同級生同士ということできたんなく心を割って意思疎通ができた」と二人は口をそろえる。当時は学校教育の転換期で、赤塚は学校五日制の検討会議を振り返り、「学校と家庭、地域の役割を見直す“明治以来の大改革”で、当初は反対意見も多かった」と明かす。石田は平成三年に本県で開催した高校総体の運営も手掛け、平成五年から一期四年間、静岡市教育長も務めた。

 現役の教育長としては大井川町の山下治男(昭30年卒)、吉田町の池谷英生(昭31年卒)、御前崎町の増田堅持(昭32年卒)がいる。平成九年から町の教育行政を預かる山下は、地域住民が授業や学校行事に協力する「学校ボランティア」や、教諭が地域住民に講義を行う「学校開放講座」などを実施し、学校と地域社会の融合を図っている。四月から要職を務める池谷は「教育には学校と家庭、地域社会の連携が必要」と強調。関係機関と協力して若い親に子育ての楽しさを伝えるため、学習会や相談体制の強化を図る。同じく四月に就任した増田は「長年、中部教育事務所で教育行政にかかわった経験を生かし、社会教育を充実させ、『町づくり』のための『人づくり』を進めたい」と意欲を見せる。水島十束(昭26年卒)は榛原町・細江小校長を退職した後、今年九月まで二期八年間、榛原町教育長を務め、小中学校へのパソコン導入を完了させた。黒田和夫(昭29年卒)も富士高校長の後、三月まで一期四年間、吉田町教育長として町立図書館建設に尽力した。

 同窓生で榛原高校長を務めたのは四人。浅井淳(榛中・大13年卒)は榛中と榛女の創立者浅井熊太郎の長男。農業科を廃止し、進学校としての基礎作りを行った。同窓会長の鎌田勝(榛中・昭18年卒)は榛の木会館の建て替えと周辺整備を実施。榛高生としての自覚を促すため、一年生が四月に実施する合宿訓練を始めた。「至誠真剣」の校訓を定めたのも鎌田。母校の教員時代、水泳部の指導に力を入れた伊村才次郎(榛中・昭19年卒、故人)は県高体連会長も務め、退職後は常葉大教育学部教授としてさらに四年間、教壇に立った。笠原健次郎(昭27年卒)は沼津市立、庵原、静岡東の校長も歴任。平成四年から二年間、母校の運営にあたった。

 教頭として母校に勤務したのは大石善蔵(榛中・昭13年卒)、戸塚実(榛中・昭14年卒)、長野正秀(榛中・昭20年卒)ら。美術教育に力を入れた大石は、現在も榛原高美術部OBでつくる「青柿会」の会長を務める。戸塚は二十年以上母校に勤め、「八十年校誌」を中心になってまとめた。数学の長野は昭和五十七年から六年間、教頭を務め、理数科新設に尽力した。

   【注】敬称略。  


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