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同窓生の中には教育長として地域教育に尽くした者も多い。高橋聞一(榛中、昭17年卒)は吉田中校長を退職後に十二年間、島田市教育長の要職に就き、「自主的にたくましく学び続ける姿勢と思いやりの心を身につけた子供の育成」を目標に掲げて教育研究に成果をあげた。増田武(榛中、昭20年卒)は相良中校長を定年退職後、相良町教育長を四年間務め、親を大切にする心を育てようと、親孝行の児童生徒を教育長表彰する制度を作った。吉田町・中央小と吉田中で校長を歴任した後、吉田町教育長を務めたのは広瀬英夫(昭25年卒)。広瀬は現在も県書道連盟常任理事として書道教育に尽力している。 高校長として手腕を奮ったOBも目立つ。川内利一(榛中、昭20年卒)は浜松南校長を終えた後、さらに九年間、常葉短大国文科教授として明治文学や歌謡史を教えた。県内の文学者への造けいも深く、現在も中部地区の図書館や公民館の文学講座講師として活躍する。丹所且臣(昭33年卒)は今年三月まで、浜松商校長を務めた。同校で教頭と校長を二年ずつ務めた丹所は、文武両道の校風を守り、創立百周年記念式典の運営にもあたった。英語の石上守男(昭25年卒)は吉田高英語科の創設に尽力し、同校の言語教育研究所パーマー賞獲得に貢献した。石上は榛原高定時制教頭から浜松湖南校長に就き、退職後は静岡理工科大に講師として六年間勤務した。柔道部の指導に力を入れた沢入忠志(昭32年卒)も母校教頭を経て、袋井、静岡南、下田北で各校三年ずつ校長として学校運営にあたった。「至誠」の精神で人づくりに努めた松沢紘一郎(昭33年卒)は県警察学校副校長を経験し、吉原と三島北で校長を務めた。富士宮西校長で退職した大石尚夫(昭32年卒)は県総合教育センターで非常勤嘱託員として現在も地域の生涯学習の振興に尽くしている。母校に十七年間勤務した原木茂(榛中、昭20年卒、故人)も浜北西校長に就いた。 牧之原中校長を最後に教壇を降りた坂本公夫(榛中、昭20年卒)は平成二年から相良町心身障害者福祉施設「こづつみ作業所」の運営にあたり、障害者の社会参加に尽力。県小規模授産所連合会副会長の職務にもあたっている。静岡市・城内中教頭時代にカナダの学校との姉妹校提携に尽力した浅倉誠(一高、昭24年卒)は、市内の小中学校長を歴任した後、教育事業団体で教育的な修学旅行を提供する国際観光社長に就任。カナダやオーストラリアを訪問する小中学校国際交流使節団を立ち上げた。白石哲郎(昭26年卒)は小学校に十五年、中学校に二十一年勤務し、静岡市の東豊田中と横内小、城内小で校長職に就いた。池ノ谷(旧姓・石田)茂行(昭36年卒)は母校榛原を皮切りに四校で事務長を務め、現在、中部教育事務次長に就いている。 現役で校長職に就いているのは静岡南高の八木義雄(昭41年卒)、農業経営高の杉本一美(昭42年卒)。福元(植田)礼子(昭36年卒)、十河(村井)惇子(同)、内藤昌代(昭37年卒)の三人は、女性の小学校長として福元が静岡市・千代田東、十河は岡部町・朝比奈第一、内藤も吉田町・自彊で豊かな人間像の実現に腐心している。 【注】敬称略。 |
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