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昭和五十九年に「メリー・ウィドー」のカミーユ役で二期会にデビューし、「蝶々夫人」のピンカートン、「椿姫」のアルフレードなど、主要な役を続けて演じた。「芸術の上に芸がなければ、聴衆の心はつかめない」とダンスや演技を磨き、表現の幅を広げた。 黒田が「聴衆」にこだわる背景には、「聴衆」の一人だった少年期の思い出がある。GSブームでギターやハーモニカに触れ、「新世界」や「G線上のアリア」のレコードを繰り返し聴いた。テレビやラジオの音楽番組は最高の娯楽だった。 浜松・中部中の合唱団入団を弾みに、信愛学園高(現浜松学芸高)に進んだ。音大受験を視野に入れた授業は、必ずしも黒田の意に添わなかったようだ。「正統なクラシックの講義。音楽の楽しさが苦しさになってしまった」と苦笑いを浮かべる。 二年生の時、二期会の荘智世恵が特別講師として来校した。荘は三年生を教えたが、黒田は授業を抜け出し、講義を見に行ったという。「二期会の地方公演で歌を聴き、あこがれていた」。国立音大では、その荘に師事することになる。 「信愛がなければ、今の自分はない。恩返しの気持ちはデビュー当時から強かった」。浜松市民オペラの出演をはじめ、故郷での公演はライフワークの一つ。平成七年度には「浜松ゆかりの芸術家顕彰」を受章した。 平成八年から浜松市の小中学校で開かれているオペラ鑑賞教室で、黒田は演出・構成に携わる。「子供にどれだけ感動を与えているかは分からない。ただ、一つのきっかけになれば」と願う。 「無理やりオペラを押し付けても、大衆には届かない。受け入れる土壌から作らなくては」。音楽家が果たす責任は大きい、と気を引き締める。
(文中敬称略、題字は書道コース1期生石塚智沙子さん)
(木、金曜日に掲載します)
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