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第3章「表現に挑む」
名物講師 古屋豊さん
(2003年1月24日掲載)
“二人三脚”で声育てる

ビデオテープなどの資料を手に、教え子との思い出を語る古屋豊さん
 その日、古屋豊は藤原歌劇団の歌手永田直美=昭50卒=のリサイタルに招かれていた。永田がゆっくりと歌い始めたのはイタリア歌曲の古典「愛しい絆」。「古屋の指導で、この歌を一年間歌い続けたことがあります。『一つの曲をきちんと仕上げられなくて、ほかに行っても仕方がないから』って」。永田のやんちゃな笑顔に注がれた拍手は、そのまま古屋の心根に染み込んだ。

 信愛学園高(現浜松学芸高)音楽科が産声を上げた昭和四十年に請われて声楽講師となり、三十三年間にわたり指導した。二期会の渡部成哉黒田晋也、藤原歌劇団の永田や牧野正人、劇団四季の高井治らは、いずれも“古屋学校”の門弟だ。

 教え方の基本は「叱(しか)らないこと」。生徒を講師の色に染めないこと。出ない声を、できない曲を無理やり歌わせないこと。常に気分良く歌わせること。つまり「自然林の大木を育てるように」、気長に才能の芽を育てる。

 レッスン室。突然ピアノ伴奏を中断したかと思うと「写真家がモデルを褒めるような」大歓声を上げる。「君その声だ。すごく良い。とてもチャーミングだ。もう一回出してみて!」。

 99%駄目な声でも、1%の良い声があれば才能は花開くという。鼻腔(びくう)の中で中高音を共鳴させることで、太い声が生まれる。だが、理屈ではない。何度も繰り返し発声させ「五割バッター」を目指す。声が身に付く時、生徒の目の色が変わる。「自信と経験の相乗効果ですよ」。

 古屋の武器は、生徒の良い声を聴き分ける嗅(きゅう)覚だった。牧野正人=昭51卒=は当初、サックスを習おうと信愛を訪ねてきた。職員室で応対した古屋は「サックスは教えていない」ときっぱり。が、牧野の体が良い。「ちょっと歌ってみないか」とレッスン室に連れ込んだ。

 「ほんの一声、すごく良い声があった。で、思わず『君は声楽をやるべきだ』と。二年まで芽が出ず、とんでもない世界に引きずり込んでしまったのでは―と内心、冷や冷やしていましたよ」

 声を育てる作業は、常に古屋と生徒の“二人三脚”だった。国立音大で声楽を学び歌手を目指しながら、不慮の事故で断念した経験を持つ古屋。「果たせなかった希望を教える方でかなえたかった。この三十三年間、つかの間の夢のような時間でした」と振り返る。

 音楽科を退職後、浜松フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任した。「歌手は育てた。残るは伴奏のオーケストラを育てる番です」。新たな“二人三脚”が、その一歩を踏みだした。

(文中敬称略)
(木、金曜日に掲載します)


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