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第4章「学校生活」
校歌・制服の移り変わり
(2003年4月18日掲載)
時代、教育の変遷映す

校歌「学芸の詩」の練習に励む新入生=浜松市下池川町の浜松学芸高

制服の歴史を紹介した学園新聞第170号

 四月初め、真新しい制服に身を包んだ新入生三百三十九人が中村記念館ホールに集合し、校歌「学芸の詩」の練習に臨んだ。音楽科講師の鳥山妙子が「古い感じにしたくない」と作曲した校歌は、横に揺れるような柔らかい旋律から、力強く音符が流れる後半へと転調する曲構成を持つ。

 学問をきわめるわれと芸術をめざす友とは、道二つ願いは一つ―。新入生は生徒手帳の楽譜と照らし合わせ、学園長中村隆(故人)が詠じた歌詞を唱和。学芸百年の歴史と伝統を受け継いだ。

 浜松学芸高には校歌が三つある。「たをやめが手なれの糸の力もて、岩をも通せ黒金もいよ」で始まる第一校歌は、実践女子大創設者の下田歌子が作詞した。裁縫の道に女性の信念を投影した内容で、明治の草創期から戦後まで歌われた。

 昭和三十七年、開校六十周年を機に第二校歌「信愛の鐘」が成立した。中村隆作詞、作曲は郷土の映画監督木下恵介の弟木下忠司。当時流行していた木下の映画「喜びも悲しみも幾年月」の音楽を手掛けた忠司氏に校歌を依頼したところ、思わぬ快諾を得たという。

 「学芸の詩」は、校名を変更し全学科コースが共学化した平成八年に誕生。校歌は校史の節目と共に編みだされた。理事長の服部頴明は「世の中の変遷につれ、学校や教育が変わったことの表れ」と説明する。

 裁縫女学校の出自だけに制服の変遷も多彩だ。明治期は松葉模様を縫い取ったえび茶色のはかまに着物姿。大正当時は短い元禄そでの着物を羽織り、胸に常盤のバッジをあしらった。

 昭和四年にはセーラー服を採用。フェルト帽と編み上げの革靴がおしゃれだった。三十七年から紺のブレザーに転換。以後三十八年間にわたって親しまれた。

 現在の女子制服は平成二年に服飾デザイナー渡辺弘二が手掛け、雑誌の制服コンテストで入賞するなど評判は上々。男子制服も八年から渡辺デザインに。

 教員時代に服装委を務めた玉木(旧姓杉本)悦子=昭29卒=は「どの制服もあか抜けていて、若者らしい。親近感がわく」と誇らしげだ。

(次回は5月1日からです)

(文中敬称略)
(木、金曜日に掲載します)


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