第1章 「高女生誕生」(2)

郷土が誇る女流文学者


鷹野つぎの著書を手に研究を懐かしむ元文芸部顧問後藤=小笠郡菊川町
 明治二十三年八月二十五日、鷹野つぎ=高女5回、故人=は浜松町下垂(現・尾張町)の商家で八人兄弟の二女として生まれた。十五歳で女子尋常高等小学校から浜松高等女学校へ進学。十三、四歳のころから祖父や長兄の蔵書を読んでいた鷹野は入学して早々から学芸部員となり「校友」「白萩」などの制作に取り組んだ。

 昭和五十年、文芸部が出した「郷土が生んだ女流文学者鷹野つぎ研究」には大場かよ=高女5回、故人=の訪問記が残っている。「春夏秋冬」に最も親しかった友人として名前を挙げられている大場は女学校時代の思い出で、鷹野と文学雑誌への投稿を競争したころのことを「賞をもらうのはいつもつぎさんでした」と回想している。

 島崎藤村に師事、小説家、評論家として活躍した鷹野の出発点は浜松で過ごした時間、女学校時代に育まれた。それを示すかのように浜松を舞台にした小説集「悲しき配分」、浜松の行事を思い出とともにまとめた「四季と子供」「娘と時代」などの作品が残っている。「娘と時代」の中で鷹野は「週に二回かな子と一緒に、田辺校長先生のお宅にお講義をうけに伺つてゐた」と女学校時代をつづっている。

 昭和四十八年、創立七十周年記念式典で文学碑が建てられたのを境に、鷹野つぎの研究が同校で進んだ。鷹野を研究、記念誌などを出した元文芸部顧問後藤悦良(58)=菊川町=は「当時、卒業生や在校生に鷹野つぎはほとんど知られてなかった。図書館にも十一冊の著作の内、四冊しか無かった」と話す。

 後藤に研究を薦めた元図書課長寺田泰政(77)=蜆塚=は「鷹野つぎ―人と文学」で「鷹野つぎブームが澎湃(ほうはい)として起こり、問い合わせなどが次々と寄せられた」と記述した。当時を振り返り、「誰かに調べてほしかった鷹野つぎを後藤先生がやっと形にしてくれた。校内に写真も一緒に飾った充実した図書コーナーもできた」と感謝した。

 現在、浜松市鹿谷町の浜松文芸館には鷹野に関する数々の資料が残っている。寺田は「学校が研究しなかったら、今のように資料は集まっていなかったかもしれない」と話す。校内に残る文学碑は市立生の母校と先輩を思う気持ちが浜松の文化の発展を支えた証拠かもしれない。

(水、木、金曜日に掲載します

(文中敬称略)

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