第1章 「高女生誕生」(3)

医師目指し女子医専へ


磯部の顕微鏡は今も二男房元が大切に保管、使用している=浜松市天王町の「磯部外科」
 医師の仕事と病院運営に奮闘し、女子医学教育の礎となった吉岡ふさ=高女5回、故人=は浜松高女出身が輩出した第一号の医師だ。吉岡が切り開いた道をたどるように、医師を目指す女学生は女子医専に進んだ。

 吉岡は大正元年、東京女子医学専門学校(現・東京女子医大)を卒業、女子医専の創設者の弟正明と結婚した。吉岡の孫俊正(46)=東京女子医大助教授=は「祖父(正明)が晩年に体を悪くした時、祖母は自分も病に侵されていたのに最期まで尽くしていた」と振り返る。吉岡は死去する二年前の昭和四十一年、勲四等瑞宝章を受章した。

 吉岡に続いて才女が同女子医専の門をたたく。医者一家に育った磯部友子=高女10回、故人=は吉岡に「友ちゃん、友ちゃん」とかわいがられた。女子医専では産婦人科医を目指した。

 女子医専の口頭試験でいつまでも試験官の質問が終わらないため、涙を浮かべ、いつまで続くか聞くと、試験官が「あまりにも答えられるからどれだけ知ってるか聞こうと思った」と言ったほどの才女。最期の病床でも医学書を手放さなかった。

 天王町で外科医院を開く二男房元(82)は「お金を請求したら患者は子どもが病気の時、治療にこれなくなる」と、未納の診療代を請求しなかった母の姿を覚えている。

 磯部の後輩本多ちよ=高女12回、故人=、妹の船越しも=高女14回、故人=は同女子医専を経て姉妹で医師になった。本多は浜松市中山町で産婦人科医を開業。当時隣にあった浜松中央署から要請され警察医を長年務める。おいの石川長彦(72)は「警察からの電話で昼夜かまわず飛んで行った」と働きぶりを今に伝えている。妹しもも姉に負けない秀才ぶりを発揮、小児科医となった。  女子医専を柱にしてさまざまな道を経て女医への道を進んだ後輩は数多い。

 いずれも故人となったが、朝比奈すゑの=高女14回=、仁瓶礼子=高女18回=、白松敦子=高女35回=は引佐町、雄踏町、浜松市木戸町でそれぞれ開業し、活躍。県外でも板橋順子=高女19回=、西尾恵=高女26回=、鈴木道子=高女42回=らは東京で産婦人科医を開業するなどした。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。
(水、木、金曜日に掲載します)


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