第1章 「高女生誕生」(4)

献身と開拓の女医たち


「命ある限り患者さんを診ます」と語り、診療にあたる鈴木=浜松市内の診療所
 女子医学専門学校(現・東京女子医大)の記憶をとどめ、今なお活躍している女医がいる。

 白衣に身を包んだ鈴木みゆき(82)=高女33回、高林=は「職業婦人は『結婚相手がいない人』というべっ視があった」と険しかった医師への道を語る。

 浜松市立東小で健康優良児に選ばれた鈴木は義兄に「おまえは健康だから医者になりなさい」と勧められ医師を目指した。しかし、黒田伝次郎校長が「医者になって幸せになった人はいないから良妻賢母の道を歩きなさい」と反対。思わぬ壁にぶつかった。

 鈴木は黒田の反対を乗り越え、女子医専へ進学。卒業後、東京の産院を経て昭和二十年、結核治療で活躍した鈴木直人の息子直彦と結婚し、水窪町で産婦人科を開業した。「内科、外科何でもやる総合病院みたいだった。猫のお産にも立ち会った」という鈴木だが、同三十五年、血管の病気で右下腿を切断し、診療が難しくなった。

 落ち込む鈴木は直人から「医者をやめることは人道上許されん」と叱咤激励を受けた。町民にも支えられた。かごを造り、往診のたびに担いで回ってくれたこともあった。

 現在も鈴木は週二回、浜松市内の診療所で理事長兼院長として診療にあたる。一方、浜松赤十字血液センターでも健康診断を担当している。亡き直人の声が耳に残る鈴木は「命ある限り患者さんを診ます」と静かに語る。

 献身的に医療を続ける先輩の跡を追うように、疾病予防という新たな医学の道を進む後輩がいる。

 石井馨(46)=25回、積志町=は医者一家に生まれた影響で医学を志した。愛知医大卒業後、浜松医大の第二外科に入局。「今では女の外科医は珍しくないが当時は変人扱いだった」と話す。八年の外科医生活を経て、生活習慣病の予防に取り組んでいる。

 石井は「医者は患者を診るのが仕事。病気を治すのは患者さん自身」と言い切り、予防治療へ社会保険が適応できるよう厚生省に働き掛けるなどの活動もしている。

 プールやスタジオのあるスポーツ・ジムのような疾病予防運動施設で治療に取り組む石井は「外科医時代に感じていた医者の無力さと矛盾を払しょくし、やっと生きがいを見つけることができた」と語った。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。
(水、木、金曜日に掲載します)


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