第1章 「高女生誕生」 (6)

文人校長が校訓を制定


田辺校長が制定した校訓「誠・愛・節」を刻み込んだ石碑を見る増田現校長=浜松市立高
 浜松市立高の中庭。生徒が出入りする昇降口のほぼ正面の築山に「誠・愛・節」の校訓を刻み込んだ自然石が置かれている。校訓は、浜松高女の第二代校長、田辺友三郎=故人=が制定した。

 和歌を好んだ文人教育者で、「ももから生まれた桃太郎さん 気は優しくて力持ち…」と歌われた唱歌「ももたろう」や「春の野」などの作詞者としても知られている。文学者鷹野つぎ=高女5回、故人=も田辺から直接、指導を受け大きな影響を受けた。

 田辺は明治三十七年二月に急死した初代校長矢勝安定の後を受け、その年の九月、松城馬冷に新築したばかりの浜松高女に赴任した。校訓の制定は着任してわずか二カ月後の天長節(当時の天皇誕生日)だった。

 校訓の制定にあたり、自ら漢文調の文で、趣旨や意義をしたためた。今の生徒たちには難解な文章で、市立高の生徒手帳には「誠 つねに真実をもとめ、至誠をもって事にあたる」「愛 人に接するに敬愛の念をもってし、良く親和する」「節 自己の本分と責任を自覚し、進退において節度を保つ」と現代文でわかりやすく説明している。

 十九代校長となる現在の増田勝利(59)は、「『誠、愛、節』の精神は現代でも十分通用する。人間の生き方を三文字で表した素晴らしい校訓だ。過去百年を生きてきたが、今後の百年も生き続ける」と話す。

 田辺は金沢市出身。静岡師範から四十一歳で、浜松高女の校長となり、大正六年までの十三年間、在籍した。中村いち=高女7回、故人=は、田辺の人柄について五十周年記念誌に「聖人に近いお方でした」と述べ、校長室に飾っていた菊の花が二十五日間も活き活きしていることについて「私が毎日、必ず水を取りかえてるから」と言ってにこにこ花を眺めていたというエピソードを紹介した。

 現在、内科医院を開業している田辺の孫、松浦泰(75)=東京・日野市=は、「晩年、母に連れられて三ケ日町の浜名湖畔で病気療養中だった祖父のところへ行ったことを覚えている。当時小学生で、記憶は薄れているが、祖父の端然とした雰囲気は今でも思い出す」。

 田辺は昭和八年四月、七十歳で亡くなった。現在の市立高から近い、浜松市広沢二丁目の西来院に葬られている。

(文中敬称略)

(水、木、金曜日に掲載します)


掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

静岡新聞へ