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「宇津保物語」の注釈研究などを完成させた国語学者河野多麻=高女10回、故人=と「正倉院御物伎楽装束の復元的研究」で知られる町野とく=高女12回、故人=姉妹は生涯を日本文化の探求に捧げた。 姉妹は浜松市肴町で生まれた。河野は高女卒業後、静岡女子師範学校第二部を経て、東京女子高等師範学校(現・お茶の水大)、東北帝大に進んだ。 「宇津保物語」研究に取り組む前、河野は実践女子専門学校(現・実践女子大)で教壇に立つ。国文学の講義を受けた杉浦幸子(78)=高女37回、栄町=は「和装でスラッとして凜(りん)としていた。市立出身ということですごく目をかけてくれました」と懐かしむ。 河野は地道に写本を比較検討し、全く整理されていなかった「宇津保物語」を約二十年間掛けて原典に近い状態に復元した。研究を昭和四十年に完成させ、「日本古典文学大系」(岩波書店)に残し、その研究をまとめた大書「うつほ物語伝本の研究」(岩波書店)を昭和四十八年に出版。あとがきの中で「眼の手術以来やがて見えなくなる日を考えて、小論を一つにまとめて置きたいと考えた」と研究に掛けた人生をつづっている。 河野は昭和四十年から武蔵野女子大で教べんを執った。小笠原雅代(44)=27回、東京都=は入学した時、河野に研究室に呼ばれ、辞書をプレゼントされた。「普段は優しい人でしたが、授業は厳しかった」と研究者肌だった河野を振り返る。 妹の町野は高女から東京裁縫女学校高等師範科(現・東京家政大)に進み、奈良女子師範(現・奈良教育大)の教諭などを経て和裁専門家となった。その後、奈良国立博物館の調査員となった昭和二十七年から伎楽装束の研究に取り組む。 昭和五十四年、八十歳の高齢で町野は研究を完成させ、五百ページに及ぶ著書を出版した。 河野と町野の甥中村順之輔(75)=兵庫県=は「多麻は仏文学者の夫与一といつも本ばかり読んでいた。いつもニコニコして面倒見の良い夫婦だった。とくは地道な作業が得意だった。研究の話では和裁専門家だったからでしょう。一センチの中に何針縫ってあるなんて話を聞かされた」と語る。 (文中敬称略) (水、木、金曜日に掲載します)
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