第2章 「戦争へ」 (4)

洋服姿に思いさまざま


アルバムをめくりながら、昔懐かしい制服話に花を咲かせる26会の同級生ら=浜松市内
 大正十三年、市立のトレードマークだった一本線の入ったえび茶のはかま、着物、靴姿が洋服に変わる。

 紺の鬼サージで折り襟の洋服、そろいの色の帽子も付いていた。現在のようなきれいなサージではなく、目が粗かった。

 細かに付いていたスカートの折り目も一度の洗濯で消えてしまうこともしばしば。身だしなみに厳しい黒田校長の指導の元、おしゃれにも敏感な女学生が必死で寝押しして登校した。雨の日には登校中に折り目がなくなり、学校の校務員さんに火鉢を借り、乾かすことも多かったという。

 町民の注目を集め、少女らがあこがれたはかまの一本線とは対照的に、新しい制服は生徒にも回りにも評判はいまいちだった。二年に進級したときに制服が変わった原野谷梅子(91)=高女25回、領家=は「新しい制服になってから東京のいとこに会ったら『バスガイドみたい』と笑われた。やぼったくて嫌だった。一年生の時は一本線が自慢だったのに…」と話す。一年生の夏に制服が変わった鈴木ふじ(89)=高女26回、神立町=は「白い線にあこがれたのに…」と語る。

 一方で、「おしゃれに気を配っている余裕はなかった」「動きやすくて好きだった」と語る声もある。日和下駄(げた)から歩きやすい靴に変わった喜びや町でも目にすることが少なかった洋服が着られる喜びが当時の女学生にあったのだろう。高井いしゑ(89)=高女26回、砂山町=は「最初は洋服が着られるのがうれしかった。でも回りにバスガールみたいといわれてだんだん嫌になった」と振り返る。

 洋服への制服変更は思い出やさまざまエピソードを思い起こさせる。一年生の夏に制服が変わった高女二十六回の同窓会「26(にいろく)会」は現在も毎月集まって昔の話しなどに花を咲かせる。仲山きみ(90)=東伊場=が「洋服に制服が変わってからはお茶の授業で、正座する時に靴下が破れていると恥ずかしくて。友達同士で替えなきゃいけなかったの」と思い出を語ると、集まった同級生堀江昌子(89)=初生町=、鈴木正子(90)=寺島町=、市野美代子(89)=有玉南町=、鈴木ふじ、高井ら六人の顔には懐かしいような、ちょっぴり恥ずかしいような笑顔がこぼれた。

(文中敬称略)

(水、木、金曜日に掲載します)


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