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校旗は金色の房に縁取りされた紅色の地の中央に金糸銀糸で刺繍した校章をあしらった。校章は市章に女子の象徴である八稜鏡を配したデザイン。 入学式や卒業式など学校行事では必ず、生徒の前に登場したこの校旗も昭和二十年六月十八日、浜松空襲で焼失してしまった。 昭和二十八年六月、浜松市営グラウンドで市内女子校連体育大会が開かれた。入場式で西遠、誠心、信愛、女子商など各校はそれぞれの校旗を先頭に堂々と入場したが、市立高だけは先頭に、校旗が無かった。 当時の新聞クラブ員が昼休みに校内放送で「校旗作製」を呼びかけ、校旗作製気運が盛り上がり、その年の十月一日、二代目の校旗が完成した。 二代目の校旗も色があせるなど傷みが目立ったことから、百周年を記念して、三代目の校旗の製作が現在、進められている。 初代校旗が完成した翌年、もう一つの学校のシンボルとなる校歌が誕生した。作詞は童謡、唱歌の作詞家として野口雨情、北原白秋らと肩を並べた葛原〓(しげる)、作曲は日本最初のオペラ「羽衣」の作曲者として知られた小松耕輔。葛原は「ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む」の童謡「夕日」の作者として知られている。 鈴木とみ(86)=高女30回、泉町=は「音楽の時間は、新しく出来た校歌ばかりを歌いました。朝礼の時も必ず校歌を歌っていました」と語った。その年、浜松高女は創立三十周年を迎えた。 「作左の森に輝く朝日…」で始まる校歌は、校舎が作左山から広沢に変わって「曳馬の野辺に輝く朝日…」に歌詞が一部変わった。 年一回開かれている鈴木のクラス会では、女学校時代と同じように最後に校歌を歌って締める。「でも、その時は“曳馬の”ではなくて“作左の”と歌っているんです」。 (文中敬称略)
(水、木、金曜日に掲載します)
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