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昭和二十四年、浜松市立高の新入生は女子生徒三百三十人と同校が初めて受け入れた男子生徒二十八人。「学区制」が実施され、男女共学になった影響だった。 二十八人の男子生徒は二組に振り分けられた。被服科に入学し机を並べなかった本多は男子と話した記憶はほとんどない。しかし「当時は大勢の女の子の中で気の毒な感じがした」と話し、男子がテニスコートで練習していたことを思い出した。 森正文(69)=細江町=は大連から十月に引き揚げ、十一月から入学、三月には浜松北高へ編入した。森は「十一月から三月までしかいなかったから市立高にいたのは本当にわずかな間だった」と話し「居候みたいな感じだった」と思い出を振り返る。 森は編入直後の文化祭で、五千メートル競走に出場。ほとんど練習していなかったのに急に激しく身体を動かしたのでグラウンドにひっくり返ってしまった。「気付いて目を開けるとみんながのぞき込んでいたから、体裁悪くてまた目を閉じた」と話す。音楽の授業でロシアの歌を歌って褒められた良い思い出もある。 森と、同級生の岡本和孝(69)=田町=は文化祭で歌を披露した。森がテナー、岡本がバスで、格納庫に臨時に特設したステージで歌った。森は「ステージといっても、木の箱を重ねただけのものだった」と語る。 掛中から市立高に入学した岡本は「中学が”ばんから”だったからなれるまで時間がかかった」と語り、女学生と話すまで一カ月ほどかかったことを覚えている。学校は突然の男子生徒の入学で、トイレは職員用の男子トイレを増設する形で対応した。 ほかのクラスからも”珍しい”男子生徒を見に来る女学生で大変な騒ぎが半年ほど続いた。岡本は「当時は居場所がない感じだったが、今思えば一つの経験だった」と語る。 男子生徒は一年間の”いちりつ生”を経て、浜松北高、浜松西高、東京の高校などに編入した。 (文中敬称略)
(水、木、金曜日に掲載します)
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